10日にゴルフのラウンド中に左足首を骨折した、ピーターこと歌手で俳優の池畑慎之介(69)が14日深夜、Tokyofm「TOKYO SPEAKEASY」(月~木曜深夜1時)にゲスト出演した。17日に入院して18日に手術を受ける予定になっている。

長年交遊がある歌手で作曲家のすぎもとまさと(72)とトークを展開した。

池畑は骨折について「ティーグラウンドからズルズル滑っちゃったの。頭を打てばよかったのに、足がねじれて複雑骨折。18日に手術して鉄板入れるの。最初は固めてくださいっておねがいしたんだけど」と説明した。

すぎもとが「年を取ると治りが遅くなるんだよ」と言うと、池畑は「捻挫だと思ったから、55、48で回ってきたの。でも、48って結構、いいスコアじゃない。ずっとけがしてた方がいいんじゃないの」と笑った。

池畑は53年間の芸能生活を振り返って「歌手になりたいわけじゃなかった。いろいろな呪縛から抜け出したくて東京に来たの。歌は下手だからね。一番気持ちよかったのは、カラオケでド演歌を歌っていた時」と話した。

そして、82年以降芸能活動を休止している歌手ちあきなおみ(74)について「私が17歳くらいで、向こうが年上だけど仲が良かったの。私のお母さんとちあきさんのお母さんと4人で映画に行ったことがあるもの」と振り返った。

すぎもとは「俺は新宿育ちで大久保中学。ちあきさんは1学年上。それを言ったら『私はいつも、米軍のクラブで歌っていた』と話していた。ああいうところで認められると、ちょっと違うんだろうね」。

池畑は「ちあきさんだけは神とあがめています。CDも全部持っています。(今は)どなたとも会っていないみたいで、ちょっと寂しいな」と話した。

池畑は「12年ぶりにCDを出したの」と、先月発売したアルバム「SHINNOSUKE~ひとり唄~」から、1969年(昭44)のピンキーとキラーズの「涙の季節」を紹介。次いで、すぎもと作曲の「この世で一本のバラ」をかけた。

音楽に興味を持ったきっかけについて、池畑は「美空ひばりさんの『花笠道中』だった」。すぎもとは「僕のことは『だみ声の坊や』と覚えてくれていた。ちあきさんのことは『私の前では歌わさないで』というくらい認めていた」と振り返った。

池畑は「ひばりさんに赤坂のマンションに呼ばれて『ピーちゃん、かわいいから、これあげるわ』とくれるから、何かと思ったらプラスチックの指輪だった」と笑った。

池畑が「ひばりさんとちあきさんには共通点があった」と言うと、すぎもとは「この2人に曲を書かせてもらったのは誇りだね」と振り返った。そして、自身のヒット曲「吾亦紅」を紹介した。