11年3月11日に発生した東日本大震災から丸11年となった3月11日に、長渕剛(65)の同行取材で、宮城県石巻市に行った。石巻市慰霊碑で行われた「石巻市追悼式」での献歌を取材するためだった。震災直後にも被災者を激励する長渕に同行して、石巻に何度か行った。今回はそれ以来約11年ぶりの同行だった。

新幹線で仙台駅に行き、そこからワゴン車で高速道路を通って石巻に向かった。市内に入ると、きれいに舗装された道路や公園、そして住宅が目に飛び込んだ。がれきの記憶が鮮烈な私にとって、11年という歳月を感じた。しかし、よく見ると違和感を感じる空き地が多々あった。かつては住宅や商店が立ち並んでいたのだろうが、あの日の記憶が再建を断念させたのだろうか。あるいは主がいなくなってしまったのだろうか。市の関係者によると「過疎化が進んでいる」という。きれいな道路とは裏腹に、まだ残る震災の爪痕を感じざるを得なかった。

長渕は追悼式で「ひとつ」「愛おしき死者たちよ」「REBORN」の3曲を献歌した。追悼式後の取材で「なぜ震災直後から積極的に来てくれるのですか」という趣旨の質問が出た。長渕は南国の鹿児島出身。「理屈じゃないですよね。自然に足が向いたんですね」と答えた。そして「それが何だったのかというと…」としばらく考え込んで、こう話した。

長渕 駆け出しのころ、バスで回った。ギター1本で武者修行のようなものだった。青年団の人とか、駆け出しの歌を聴いてくれていろいろ話をした。日本全国の中で、東北の方々の顔が残っているんです。今でもその時の温かいものが残っているんです。震災直後、そういう思いがよみがえったんでしょうね。

11年前に同行取材した際、長渕の写真を何枚も撮った。その中に特に印象深い写真がある。長渕ががれきと化した町を黙々と歩き、ずっと海まで歩き、防波堤に登った時の写真である。青空が広がるいい天気で、海はとても穏やかだった。長渕は長い間防波堤に立ち、海を見続けた。後ろ姿なので表情は分からなかったが、多くの命を奪った海に向かって立ち尽くしたのだ。にらみつけていたのかもしれない。泣いていたのかもしれない。私は「なぜ積極的に」という質問の答えを、この後ろ姿の写真が語っているような気がしてならない。【笹森文彦】