【プロレス蔵出し写真館】1991年(平成3年)4月1日、館内を騒然とさせた北尾光司の「八百長」発言があったSWSの兵庫・神戸ワールド記念ホール大会。その日、もうひとつ〝不穏試合〟が発生していたのは意外に知られた話だろう。

 第4試合で行われた、SWS対新UWF藤原組対抗戦の第1試合(対抗戦は3試合)、アポロ菅原VS鈴木みのる戦。対抗戦で盛り上がる客席が、ほどなくブーイングに変った。

 組もうとする菅原と、掌底とキックで距離をとる鈴木。お互いガードポジションのままにらみ合いが続く。どちらかがコーナーに詰まると、すぐに膠着状態。

 5分経過して、ようやくロックアップの体勢から鈴木が一本背負い。菅原が上から押しつぶしてアマレススタイルのバックの取り合い。攻防らしい攻防はこれだけ。

 その後も両者は組み合うことなく、距離を保ったまま。業を煮やした菅原は前蹴りの連発から強引に組みつき、アッパー気味の掌底を鈴木の顔面に乱打。するとなぜかレフェリーのミスター空中から注意が与えられ、菅原は〝やってられるか〟というような素振りで場外に出た。空中はすぐにゴングを要請して9分3秒、菅原の試合放棄という裁定が下った。

 館内にはブーイングがこだました。鈴木も判定に納得せず、感情を爆発させて観客に何か叫ぶと、リングを降りてそのまま会場の外まで出て泣きじゃくった。菅原は空中に「数えてねぇじゃねぇかこの野郎! プロレスは外へ出たら20カウントなんだ、わかってんのかコラッ!」。そう罵倒して引き揚げた――

 さて、あれから31年。菅原は熊本にいた。

 ――なぜ熊本に
 
 菅原 ウチの(注:奥さんの庸さん)が熊本だったんでね。(黒猫)ヤマトの委託ドライバーをやってたけど、重い荷物で悪くしてたヒザに負担がかかってしまって…。思い切って勝負してみようと、飲食店を始めることになりました。

 ――店名は

 菅原 「apolloキッチン」。居酒屋です。近くに熊本大学があるので、昼は学生さんに食べてもらおうかなとも思ってます。コロナ禍で予定より遅れたけど、30人ぐらい入れる店を、3月25日オープンに向けて準備中です。

 ――ところで、あの鈴木戦ですが

 菅原 ユーチューブ(アポロ菅原チャンネル)でもしゃべってますけどね。ようは〝仕事〟を拒否したってことですよ。向うを焚きつけた人間がいるんですよ、裏でね。UWFは真剣勝負だ!って煽ってね。真剣勝負で負けたら菅原は弱いってことになるじゃないですか。それならそれで、こっちもそうはいくかい、となりますよね。千何百試合やってきて、逆らったことないですけどね。「今回は譲れないです」と(グレート・)カブキさんに言いました。妥協案を持って来ましたけどね。断りました。

 ――試合後、船木が鈴木を連れて菅原選手の控室に謝りに行ったようですが

 菅原 鶴見(五郎)選手と一緒に来ましたね。突っけんどんに聞こえたかもしれないけど、『もういいよ。終わったことだから』と言いました。俺はね、新日本(プロレス)だったら違う対応になったんじゃないかと思ってるんですよ。(アントニオ)猪木さんや坂口(征二)さんなら、面白いからやれ! となったかもしれないってね。ただね、鈴木選手に対しては何とも思ってないですよ。彼はまだ現役でやってるんでしょ? ケガだけは気をつけてやってもらいたいですよ。

 ――ファンにメッセージを

 菅原 来て飲んでくれ! それだけだね。店に出て対応もしますのでね。そうそう、嫁さんが鈴木選手と同じ年なんですよ。でも、家庭内は〝不穏〟じゃないですよ(笑い)。(敬称略)