あなたの話をお聞かせ下さい――。作家で僧侶の家田荘子氏が気になる人物に迫る「駆け込み寺」対談編。話すことで自身を見つめ直し、人生の学びを見いだす。今回のゲストはモデルでタレントのIVAN。20歳でパリコレに出演しトップモデルとなり、またトランスジェンダーであることを公表しバラエティ番組など多方面で活躍。そんなIVANが性について悩んだ学生時代を振り返り、母への感謝と同じ悩みを持つ人たちへの思いを語った。

 家田 物心ついた時から女性?

 IVAN 最初に自分の性に違和感を感じたのは幼稚園のプール。女の子がピンクとか赤のかわいい水着を着ててママに私はなんで着れないのって聞いたら「あなたは男なんだよ」って言われたことがきっかけで私は違うんだって。

 家田 お母さんは。

 IVAN トランスジェンダーになるとしたらどうやって向き合って育てて行こうかと母がカウンセリングに通いながら育ててくれた。小学生の時には「無理してプールに入らなくていいよ」とか男性として生活を無理やりさせなかった。おかげで性に関してひねくれず女性として真っすぐ生きて行ける様に育ちました。ただ小学生低学年の頃はハーフなので、時に「おかまと外人」のダブルパンチでイジメられたことはありました。

 家田 どのようなイジメを。

 IVAN 一番ショックだったのは小学校の給食で意地悪な子が鉛筆削りの芯をご飯に振りかけて「これが日本のソウル飯だ。食え」って。みんも「食え、食え」って。先生も見て見ぬふりという感じでした。

 家田 食べたんですか。

 IVAN 食べないと終わらないなと思ったので。私の場合は特殊だと思うですけど食べて「おいしー!みんなも食べてみなよ」ってハッピーに返したらみんなも爆笑。逆にクラスの人気者になっちゃうみたいな。でも学校では明るくしてましたけど家ではボロボロ泣いてました。

 家田 学校生活での不便はありましたか。

 IVAN 中学の時は学ランがすごく嫌で色々言い訳をして学校に行く時はジャージ。性は隠していたんですけど生徒はすぐ受け入れてくれたんですよ。馴染んでくれなかったのは先生たち。

 家田 女性からもいっぱいモテた。

 IVAN 本当に苦痛でした(笑い)。心と体が一致しなかったので当時は。告白されても心の中で私レズビアンじゃないのにって感覚になっちゃうんです。高校の時が一番モテたのかな。ごめんなさいというのがしんどくて。

 家田 男性として扱われるストレスは。

 IVAN 生理が来ない、子供が産めないことを考えることがストレスでした。

 家田 手術を受けるとお母さんに伝えた時は。

 IVAN 20代前半ぐらいの時にごめんなさいって泣きながら実は性別適合手術受けようと思ってると伝えたら。「やったー!娘ができるって。いっぱいお買い物行こうね」ってすごくハッピーに言ってくれた。母もとっくに気付いていたので、なんでもっと早く言わなかったんだろうって。お母さんってすごいなって思いましたね。
 
 家田 同じような悩みを持っている人に言ってあげたいことは。

 IVAN 悩まないことがいいと思う。悩むということがすごく無駄な時間だった。自分の性を信じてほしい。日本にいると教えられるのが男の子だから青、女の子だから赤とか。自分が本当に欲しいものって自分で決められる。そのチョイスは誰に何を言われてもブレなくてもいい。そうすることで自分の性に素直に生きていけるようになる。私みたいにダブルパンチでイジメられても幸せに生きることをつかみとることができたので素直に生きてほしい。幸せになれるよって言いたいですね。(対談の模様はユーチューブ家田荘子チャンネルで配信)

 ☆あいゔぁん 奈良県出身。中学2年生の時に第1回沖縄アクターズスクール全国オーディションに合格し、歌やダンスレッスンを受ける。高校卒業後にモデル活動を始め2004年にパリコレに出演しトップモデルとして活躍。13年に「有吉反省会」に出演しトランスジェンダーであることを公表した。