相撲とプロレスは切っても切れない関係にある。プロレスの祖・力道山は元関脇。ミスター・プロレスこと天龍源一郎は、元前頭筆頭だった。天龍が1992年に旗揚げしたWAR初期の93~94年には冬木軍、ケンドー・ナガサキ軍らが混在しハチャメチャな抗争を展開。混乱に輪をかけたのが坂下団長(日大相撲部出身)率いる謎の覆面力士集団「相撲軍団」だった。

 日大相撲部で元学生横綱の石川敬士(元幕内大ノ海)と同級生だった坂下団長が93年10月、石川を介して天龍に挑戦を表明してきたのだ。

「アマチュア相撲経験者が最近、プロレスでやっているが、我々が思っているほど実力を発揮していない。そんなにプロレスは強いのか。ぜひ相撲軍団と天龍をやらせてくれ」と坂下団長は石川に直訴。さらには「打倒天龍に賛同している者が6人。みんな20代のバリバリで学生相撲チャンピオンになったヤツもいる。我々はプロレスをするワケではない。相撲のパワーでぶつかる」と豪語した。

 結局、初代・嵐(元十両花嵐=後の大黒坊弁慶)が、93年11月11日後楽園大会に初登場して安良岡裕二にフォール勝ち。相撲軍団はいつの間にかシリーズ参戦を果たす。

 今考えてもかなり無謀な連中で嵐を筆頭に大和(元幕内太刀光)など実績のあるメンバーの他に武蔵、刃(やいば)らが浴衣に覆面姿という異様なスタイルで好き放題に暴れた。

 WAR事務所を突然訪れるや暴れて壁を壊したり、巡業先の青森・八戸市「天龍稲荷神社」で御神木に天龍の写真を貼ってテッポウの特訓をしたり「負けたら天龍は相撲軍団に入って『越前』にしこ名を変えろ」と要求するなど痛快な連中だったが、天龍を改名させることはできなかった。

 結局、WARには1年も在籍せず、94年10月に石川が東京プロレスを旗揚げすると同時に移籍して姿を消した。その後、高木功(元十両卓越山)が2代目・嵐としてWARに参戦。現在は素顔で現役を続けている。