【今週の秘蔵フォト】米国を代表する人気シンガー・ソングライターのジャクソン・ブラウンは現在でも精力的な活動を続けている。1970年代前半にはイーグルス、リンダ・ロンシュタットらに曲を提供。ソロデビューも果たし「レイト・フォー・ザ・スカイ」「プリテンダー」「孤独なランナー」などの名作を生んだ。

 77年3月24日付本紙では「プリテンダー・ツアー」で初来日したジャクソンがインタビューに応じている。76年作の「プリテンダー」は最高傑作の呼び声も高いが、インタビューでは「昨年3月『プリテンダー』を録音中に奥さんのフィリスさんが自殺するというショッキングな事件が起きた。原因はジャクソンがレコーディングにかかりきりのため、話し合いができずに狂言自殺を図り、そのまま死んでしまった」との記述がある。それから1年。悲しみを乗り越えての来日公演だった。

「ショックを受けてしばらくは何も手につかなかった。そのために完成が遅れたんだけどね」と静かに語るジャクソンは、息子のイーサン君も日本ツアーに帯同。専用の看護師をつけるほど気を使っていた。

「子供を育てることに苦痛なんてないよ。実に楽しいことなんだ。息子はドラムに凝っててね、暇さえあれば叩いているよ。特に何になってくれという希望はない。ドラマーになりたいならなればいいし、好きなように生きてくれればいいんだ」

 常に人間の光と闇、苦悩と歓喜、愛と別離、心の葛藤を独自の優れた言語感覚で作詞を続け、高い評価を得ていたジャクソンらしい言葉だ。最愛の妻を亡くした深い悲しみを胸の奥にしまいながら、残された愛息への思いを語っている。

 最高傑作は、との問いには「ネクスト・ワン」。その言葉通り、77年の次作「孤独なランナー」は全米3位を記録。80年作の「ホールド・アウト」は初の全米1位を記録した。親日家でもあり、合計12回の来日を果たした。昨年には約7年ぶりの新作「ダウンヒル・フロム・エヴリホェア」をリリース。今なお最前線に立ち続けている。