【長嶋清幸 ゼロの勝負師(29)】阪神は2001年限りで野村克也監督が退団し、後任に星野仙一監督が来られた。まさか阪神の監督になられるとは思わなかった。俺は中日時代の1991年に1年間だけ星野さんにお世話になったんだけど、そのころと全く印象が違ったね。びっくりするくらい温厚だった。金本知憲、伊良部秀輝、下柳剛、外国人助っ人…補強のすごさ、中途半端なことをしない姿勢は素晴らしかった。

 星野さんの1年目、俺は二軍コーチとして岡田彰布二軍監督と一緒になった。岡田さんも野村さんに匹敵するくらいの野球観を持っていて、想像もつかないような考え方というか斬新というか。でも…野村さんと合わなくてね(笑い)。お互いプライドが高いでしょ。野村さんは球界で俺の上にいるやつはいないだろってなもんだし、岡田さんは「阪神では俺だ」というのがあるから。

 岡田さんはすごく勝ちにこだわって、直感がすごい。オリックス時代、仰木彬さんに影響を受けたという話はしていたね。ひらめきもそうだし、この場面でこの作戦いくか!みたいな。ひらめきのように見えて、ずっとその場面をイメージしていたというんだから。

 例えば、9回二死満塁から二走がシャッフルで思いきりつまずいて、捕手が慌てて二塁に投げると、その間に三走がホームインしてサヨナラ。二走は挟まれていればいいだけで、その間に生還したら勝ち。ウエスタン・リーグの試合でだよ。それをずっと初めからイメージしているというんだからすごい。選手から人望もあったし、いつか一軍監督になったら優勝すると思っていた。

 コーチに対してめちゃ厳しい。年上のコーチにも「あんた、こんなことも分からんのやったら辞めたらええやん」って。いや、自分で呼んだんだろうって(笑い)。「この場面になったらこの投手いくのに、なんで用意させてないんよ」とか。俺らに「こういう時はどうする?」って聞いて、こっちが誰でも思うことを言うと「だからアカンのよ~」。みんなと違うことを言っても「だからアカンのよ~」。何を言ってもそれだから、結局それを言いたいだけなんじゃないかってね。

 それくらい展開の読みがすごいし、機を見て敏。一つ言えるのは、野村さんに岡田さんのような思いきりはなかったと思う。「ここでスクイズくるぞ」「エンドランくるぞ」と言って、その通りになるんだけど「すぐ外せ」まではなかった。岡田さんはそれができた。大チャンスの場面で打者に何を言うのかと思えば「ホームラン打ってこい」だよ。「リラックスしていけ」なんかじゃない。二軍選手にだよ。そうしたら本当に選手が打っちゃうんだから、岡田さんと野村さんが合体したら最強だっただろうね。星野さんと岡田さんは…。

 ☆ながしま・きよゆき 1961年11月12日、静岡県浜岡町(現御前崎市)出身。静岡県自動車工業高から79年ドラフト外で広島入団。83年に背番号0をつけて外野のレギュラーに定着し、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。84年9月15、16日の巨人戦では2戦連続のサヨナラ本塁打を放って優勝に貢献し、阪急との日本シリーズでは3本塁打、10打点の活躍でMVPに輝く。91年に中日にトレード移籍。93年にロッテ、94年から阪神でプレーし、97年に引退。その後は阪神、中日、三星(韓国)、ロッテでコーチを続けた。2020年に愛知のカレー店「元祖台湾カレー」のオーナーとなる。