今年のアカデミー賞授賞式の一番の驚きがウィル・スミス(53)による平手打ち事件だったことは間違いない。プレゼンターとして登壇したコメディアン、クリス・ロック(57)がスミス夫人の髪をネタにジョークを披露したことに怒り、ビンタを食らわせた。

一方的に暴力を振るったのだから、大前提としてこれは間違った行動に違いないのだが、それをいったん置いてみると、スミスの方に同情したというのが正直なところだ。

夫人が脱毛症を公言していたことを考えると、決して気持ちのいいジョークではなかったし、情に駆られた行動によって、直後に発表された自身にとって最高の栄誉となった主演男優賞に自ら泥を塗ることになってしまったのだから、その心中は察するに余りある。

ところが、外見的なジョークへの抵抗感が日本より薄いアメリカでは、ビンタを受けたロックへの支持の方が高く、数日後に行われたコメディー公演で、彼がスタンディングオベーションで迎えられたと聞くと、おいおいと言いたくなる。

アメリカでは社会的立場が上の者は下の者のどんな言動にもおうようでなくてはならないという戒めのようなものが徹底しているそうだ。スタンダップコメディアンとしては一流のロックだが、映画では脇役の印象。どっちが上か下かは微妙だが、大物俳優なんだからそのくらいのジョークは笑って済ませて当然、怒ってビンタなんて問題外ということらしい。改めて物事の受け取り方が国や地域によってまったく異なることを実感させられる。

WOWOWの生放送でこの事件を見た時に思い出した光景が2つある。

1つは今から32年前、大島渚監督と小山明子夫人の結婚30年を祝うパーティーで起きた。終盤、祝辞を終えた作家の野坂昭如氏がいきなり大島監督のアゴにパンチ。メガネを吹っ飛ばされた監督が手にしたマイクで2発の倍返しで応酬した。

監督が野坂氏を不在と勘違いし、祝辞の順番が大幅に遅れたことから、最後になった野坂氏がその間に泥酔してしまったのが原因だった。つまりはスミス=ロック事件のような明確な理由や怒りは存在しなかった。止めに入った明子夫人の困惑というよりは笑いをこらえるような表情をよく覚えている。明確な理由がないことが、この事件が笑い事で済まされるいわば逃げ道になっていた。

もう1つは映画「ダイ・ハード」(88年)終盤のシーンだ。主人公マクレーン(ブルース・ウィリス)の妻ホリー(ボニー・ベデリア)が夫と自分を危険に陥れた身勝手なリポーターにパンチを見舞う。この作品らしい「思いっきり留飲を下げる」シーンの1つである。

ホリーの1発も一方的な暴力には違いないが、ジェンダー問題の専門家から「有害な男らしさだ。妻を守ることは暴力的になることではない」と指摘されるスミスのケースとは違い、男性のリポーターより体格的に不利な立場にある妻自身の行動だから許されるということになる。

このむしろほのぼのとした、むしろスカッとした2つの光景を思い浮かべたこともスミスの行動を好意的に見てしまった原因なのかもしれない。状況をよく考えてみれば今回の件は似て非なるものであり、逃げ道がない。反省の弁を述べた本人はアカデミー協会を脱会。同協会も厳しく対処するという。

おっしゃるとおり、いろいろ考えを巡らせてみても結論はそこに行き着いてしまう。それでも、げんこつではなくビンタだし…。今回の件には今も理屈では割り切れないものを感じている。