フジテレビの金光修社長(67)の著書「あの頃、VANとキャロルとハイセイコーと…since1965」(03年)と「東京ビートポップス~音楽も街も人もワクワクしていたあの頃」(10年)が、扶桑社から電子書籍で復刊された。80年代から90年代にかけて「カノッサの屈辱」「料理の鉄人」などを手掛けて、フジテレビに黄金時代をもたらした“伝説の編成マン”。昨年6月のフジテレビ社長就任以来、初めてスポーツ紙のインタビューに応えて、その思いを明かしてくれた。

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「あの頃-」は94年から01年にダイナースクラブの月刊会報誌「SIGNATURER」に、「東京-」は06年から10年まで音楽情報誌「音遊人」と「SIGNATURER」に連載されたエッセー。東京で育った金光社長が触れてきた音楽、スポーツ、ファッションなどに対する思いが書かれている。

「中学までは東京・練馬の石神井で育って、高校1年の時に町田に引っ越し。東京のいわゆる西の方で育ちました。高校生くらいまでは、やっぱり新宿が中心。池袋も渋谷も有楽町も近いんです。私が行き始めた頃の渋谷って、まだあまりお店がない頃で、公園通りに喫茶店が1店しかなかったですね」と振り返る。

早大を卒業して1978年(昭53)に西武百貨店に入社してマーケティングを担当。バブル前夜、「渋谷パルコ文化」全盛時代。西武デパートのビルの側面にコピーライター糸井重里(73)による「おいしい生活」のどでかい文字が躍った。「西武の5年間というのは、相当に面白かったです。『おいしい生活』に関わる企画のコンセプトを書かされたんです」。

「あの頃ー」で、日本にアイビーファッションを普及させた石津謙介氏(05年没、ヴァンジャケット創業者)率いるVANについて、スニーカーを取り上げた。トップサイダーの白いキャンパスデッキをモデルにしたのがラダー、コンバースのジャックパーセルがサーバー。

「VANといったらボタンダウンとかだけど、そんなの当たり前だから書いても面白くない。実は日本にスニーカーをちゃんと持ってきたのもVANなんだよって書いたんです。それで石津さんから自筆の手紙いただいて、いろいろ、褒めてもらったりね。『スニーカーのことで、ちゃんと見てくれたのあなただけだ』って手紙に書いてくれて、やっぱりうれしかったですね」。

おしゃれに興味を持ちだしたのは小学生の時。「小学校3、4年ぐらいから、もう自分で池袋、それこそ西武だとかに、よく買いに行ってましたからね。周りもそうですよ。その頃の石神井とかっていうのは、ごったのエリアだった。当時は高度経済成長で64年の東京オリンピックを迎えるにあたって道路工事とかいろんな建設ラッシュ。だから販売業のやつもいれば、農家のやつもいる。それから、不良もいっぱいで、もうぐちゃぐちゃなところで。もちろん、ちゃんと勉強してる人間もいる。そういうところが、なんか画一的ではなかった記憶があります」。【小谷野俊哉】(続く)

◆金光修(かねみつ・おさむ)1954年(昭29)10月28日、東京・石神井生まれ。1978年(昭53)早大第一文学部を卒業して、西武百貨店入社。83年フジテレビ入社。編成担当として「カノッサの屈辱」「料理の鉄人」「カルトQ」「ワーズワースの庭で」「バナナチップスラブ」「ラスタとんねるず」などの番組を手掛ける。97年CS放送立ち上げのためジェイ・スカイ・ビーに派遣され、98年に「スカイパーフェクTV!」を立ち上げる。99年BSフジに出向。12年執行役員。13年専務。13年フジ・メディア・ホールディングス(FMH)常務。15年FMH専務。19年FMH社長。21年フジテレビ社長を兼任。