【多事蹴論(37)】「サッカーの神様」が困惑した意外な日本食とは――。世界最強と呼ばれたブラジル代表で10番を背負って大活躍したジーコは1991年に日本サッカーリーグ(JSL)2部の住友金属(現J1鹿島)に加入し、93年に発足したプロサッカーのJリーグで大活躍。現役引退後には、2006年ドイツW杯出場を目指す日本代表監督を務めるなど、親日派としても知られるが、来日当初、ある日本食をキッカケにブラジルへの帰国も検討したという。

 ジーコは90年に就任したブラジルのスポーツ大臣を辞任し、現役復帰を宣言して来日。住友金属のメンバーとして初遠征したときのことだ。イレブンに昼食として、うどんとおにぎりが提供された。ところが、ジーコは熱々スープのうどんを凝視しながらまばたきもせずに固まって言葉も発せなくなっていた。

 鹿島や日本代表でジーコの通訳を務めた鈴木国弘氏は「真っ黒なスープが不気味だったのと、黒いのりで包まれたお米を見てフリーズしてしまったようだ。『これは本当に食べ物か』って思ったみたい」。ジーコはイレブンからうどんを勧められても微動だにしなかったため、クラブスタッフが近隣のコンビニエンスストアでサンドイッチを購入し、何とか食事を済ませた。

 ブラジル人の多くは肉中心の食生活を送っているだけに、漆黒のスープに浮かぶうどんとのファーストコンタクトは衝撃だったようで、今後の日本滞在に不安を覚えたという。しかも、ジーコにとってうどんはその後トラウマとなり、06年ドイツW杯に向けて日本代表監督に就任して以降、食事について聞かれることが多くなると決まって「嫌いなものは納豆とうどん」と返答。ちなみにうどんには一切口をつけないものの、そばは好んで食べるそうだ。

 そんなジーコはうどんとは逆にラッキーフードがある。それはイチゴだ。長くプレーしたブラジル1部フラメンゴ時代のこと。南米のクラブ王者を決めるリベルタドーレスカップのためボリビアを訪問したとき、試合直前になって突然「イチゴが食べたい」と言いだしたという。

 エースのご機嫌を損ねては試合結果にも影響するため、スタッフは急きょ、イチゴを購入。するとジーコは試合直前に真っ赤なフルーツをむさぼり食べると、普段以上の好パフォーマンスを発揮し、チームの勝利に貢献した。それ以降ジーコは「イチゴがオレのラッキーアイテム」と公言するようになった。

 また日本代表監督としてドイツW杯アジア最終予選に臨むときには、毎試合イチゴがチームに差し入れられるようになった。当時、指揮官は選手を送り出したロッカーで2~3個のイチゴを口に放り込んでからベンチに向かうのが“ジーコの流儀”だったそうだ。