昨年11月22日に肺がんのため74歳で亡くなった作詞家喜多條忠(きたじょう・まこと)さんを追悼する「喜多條忠さんを偲び送る会」が22日、東京・平河町の海運クラブで500人を集めて行われた。

献杯のあいさつに立った歌手五木ひろし(74)は「同世代の作家と歌い手でした。私が五木ひろしになる前の最後に、勝ち抜きの歌番組(「全日本歌謡選手権」)に出ました。その時、一緒に出演していたのがかぐや姫で、決まっていた新曲の『よこはま たそがれ』を洗面所で南こうせつさんに聞いてもらって『いいね』といってもらいました。勝ち抜いて、その歌もヒットして、その3年後に南こうせつさんが『神田川』を大ヒットさせて再会して、よかったねと喜び合いました」と、喜多條さんが手掛けた73年のかぐや姫「神田川」を振り返った。

そして「喜多條さんはたくさんのアーティストに曲を作りましたが、なんと言っても『神田川』。私たちの青春の歌であり、生活感ただよう名曲でした」とたたえた。

五木は79年に所属事務所から独立した時は、第1弾として喜多條さんに作詞を依頼、宇崎竜童作曲で「蝉時雨」を発売した。その後81年にはデビュー10周年のには平尾昌晃作曲「港・ひとり唄」、08年には三木たかし史作曲の「凍て鶴」を発売した。

「独立したときに喜多條さんと喫茶店に行って話したことを思い出します。同い年の喜多條さんを送るのは寂しく、つらいものがあります。どうか天国で見守っていてください」と呼びかけた。

喜多條さんは、700曲以上を世に送りだしたヒットメーカー。早大在学中からラジオ文化放送で放送作家として活躍。かぐや姫の73年「神田川」から始まる「赤ちょうちん」「妹」の3部作、梓みちよ「メランコリー」、キャンディーズ「やさしい悪魔」、柏原芳恵「ハロー・グッバイ」などフォーク、ポップスでヒットを連発。36歳の時に「雑巾から絞り出すような生活がつらい」と作詞家としての活動を離れ、ボートレースなどのライターとして活躍。還暦を機に「俺たち団塊世代の曲をかけるかもしれない」と演歌で作詞家として復帰。17年には伍代夏子が歌った「肱川あらし」で「日本作詩大賞」を受賞している。