昨年11月22日に肺がんのため74歳で亡くなった作詞家喜多條忠(きたじょう・まこと)さんの「喜多條忠さんを偲び送る会」が22日、東京・平河町の海運クラブで行われ、約500人が集まった。

喜多條さんの遺作となった「獨(ひと)り酒」を昨年8月にリリースした歌手石川さゆり(64)は、86年に発売した自身の代表曲「天城越え」の作詞家吉岡治氏の名前を挙げた。吉岡氏は10年に76歳で亡くなっているが「レコードをやってたある日、喜多條先生が突然『あのさ、吉岡治さんが亡くなる前に僕に言ったのよ。“石川さゆりのことよろしくね”って。一生懸命書くから、一緒に頑張りましょうね』って。講談が好きで、よく並んで(旭堂)南陵さんの講談を聞くことがありました」と振り返った。

喜多條さんは闘病中も石川のことを気にかけていた。「手術を受ける当日の朝6時すぎに電話をいただいて『今日は気分がいいんで頑張ります』と。去年の5月に歌を書いてくださいとお願いしたら『コロナ禍で居酒屋に行けないから酒の歌を作りました』といってました」と「獨り酒」の誕生秘話を明かした。そして「早いお別れ。ちょっと怒っちゃいたい気分です」と締めくくった。

喜多條さんは、700曲以上を世に送りだしたヒットメーカー。早大在学中から文化放送でラジオの放送作家として活躍。かぐや姫の73年「神田川」から始まる「赤ちょうちん」「妹」の3部作、梓みちよ「メランコリー」、キャンディーズ「やさしい悪魔」、柏原芳恵「ハロー・グッバイ」などフォーク、ポップスでヒットを連発。36歳の時に「雑巾から絞り出すような生活がつらい」と作詞家としての活動を離れ、ボートレースなどのライターとして活躍。還暦を機に「俺たち団塊世代の曲をかけるかもしれない」と演歌で作詞家として復帰。17年には伍代夏子が歌った「肱川あらし」で「日本作詩大賞」を受賞している。