圧巻の〝凱旋V〟だ。世界最高峰のアクションスポーツ国際大会「Xゲーム」最終日(24日、千葉・ZOZOマリンスタジアム)、スケートボード男子ストリート決勝は、東京五輪金メダルの堀米雄斗(23=ミクシィ)が2019年大会以来2度目の優勝を果たした。日本が誇るトリックスターは、いかにして世界のトップ選手へ上り詰めたのか。堀米を幼少期から追い続ける人物が、強さの原点を明かした。


 降りしきる雨をものともしなかった。五輪後初の実戦となった堀米は「自分の新しい技や進化した姿を見せる」との言葉通り、次々と高難度のトリックを披露すると、1、2本目の最後には新トリックも成功。観客からは大きな拍手と歓声がわき起こった。記念すべき日本初開催の「Xゲーム」を制した王者は「本当にうれしい。いろんな人たちが見に来てくれて、自分のやりたいことができて、スケートボードの楽しさも伝えられた」と満足げに振り返った。

 五輪に続いて世界一となり、改めて実力を証明。しかし、幼少期からズバ抜けた存在だったわけではない。堀米を小学時代から撮り続け、現在はフリーカメラマンとして活動する吉田佳央氏は「センス的に天才だと思ったことはない」と話す。小さいころはケガが絶えず、吉田氏が10年以上前に撮影で訪れた試合では転倒して救急車で搬送されたこともあるという。

 では、なぜ世界のトップまで駆け上がることができたのか。それは堀米が〝努力の天才〟だったからだという。「昔はいつも腕に包帯を巻きながらでも滑っていましたね。当時は〝何でこんなにケガをしているんだろう〟と思っていましたが…。今思うと、とにかく練習の虫でしたね。本人も『ケガをすることよりも、滑れないことの方がつらい』と言っていました。それだけ、ケガをするリスクのある技にも何度も挑戦する練習の鬼でした」(吉田氏)

 堀米が高校生のころ、一緒に当時のスポンサー先のカタログ撮影に足を運んだ際も「腕にギプスを巻いた中で出てきて、なんか恥ずかしそうに話していましたね」。それでも、数えきれないほどのケガを乗り越えるたびに一歩ずつ成長。吉田氏は「ケガは勲章じゃないですが、その当時の努力が今に結びついていると思います」と分析した。

 愚直な姿勢を貫いて世界の頂点に立った堀米は「これから、もっと日本のスケートボード業界を盛り上げていきたい」。トップ選手の風格を漂わせていた。