オードリー・ヘプバーンの存在の大きさを若い人に言葉で伝えるのはなかなか難しい。

私が映画をよく見るようになった70年代には半ば引退状態で、実は出演作は2本しかなかったのだが、洋画雑誌のグラビアでは常に人気上位にいた。9年ぶりの復帰作となった「ロビンとマリアン」(76年)公開時の高揚感も良く覚えている。

5月6日公開のドキュメンタリー映画「オードリー・ヘプバーン」には、彼女を特別な存在にしたそのわけが100分間に凝縮されている。

「ローマの休日」(53年)の王女役で一躍注目され、アカデミー主演女優賞となったのは24歳の時。巨匠ウィリアム・ワイラー監督に見初められ、映画黄金期最後のスターとなる。マリリン・モンローにはセクシーな、ドリス・デイなら庶民派とそれぞれに分かりやすい形容があったが、ヘプバーンにはそのどちらにも当てはまらない独特の気品があった。劇中や当時の記録映像の美しさには、今でも息をのまされる。

彼女をファッション・アイコンに押し上げたのは、生涯の友となるユベール・ド・ジバンシィだが、2人が触発し合いながら互いを高めていくいきさつが、間近に見たスタッフによって克明に語られる。伝説の自動車デザイナー、フランク・ステファンソンのドキュメンタリー「Chasinng Perfect」(19年)でデビューしたヘレナ・コーン監督はていねいに「伝説の女優」のピースを埋めていく。

私生活では2度の離婚、晩年を支えたパートナーと3人の男性が登場する。字面的には「波乱」となるのだろうが、彼女の理性的な振る舞いと、2人の夫との間にそれぞれもうけた2人の子どもへの深い愛情が印象に残る。だからだろう。子や孫による「私人ヘプバーン」に関する証言には、そこここにリスペクトの思いがにじんでいる。

唯一、感情の大きな揺れを感じさせるのが両親とのエピソードだ。厳しい母の存在が彼女の自己肯定感の薄さの原因となり、優しかった父親が幼い頃に出て行ってしまったことがその心に暗い影を落としている。

最初の夫メル・ファラーと心が離れていた頃に、その父親と再会した彼女は、冷たくされてやり場をなくす。

晩年、ユニセフ(国連児童基金)活動に身を投じたのは、ナチス占領下のオランダで過ごした幼い頃の飢餓体験があったからと言われるが、両親との葛藤から生まれた心の隙間を埋める意味合いも大きかったのだろう。

87年の来日時、20年ぶりに行われた記者会見に立ち会う幸運に恵まれた。

「庭いじりをしたり、料理を作ったり…」

スイスの自宅での「隠遁(いんとん)生活」を楽しそうに語り、2人の息子の成長ぶりに話が及ぶと目を細めた。家族愛を求め続けた劇中の姿にそんな記憶が重なった。

若い人はこの映画の華やかな部分に心引かれるのかもしれないが、オールド・ファンには知られざる私生活や晩年の彼女の思いが心に染みた。【相原斎】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)