【今週の秘蔵フォト】女性シンガー・ソングライターの草分け的存在である五輪真弓は、今年でデビュー50周年を迎えた。

 21歳の1972年10月にアルバム「五輪真弓/少女」とシングル「少女」でデビュー。当初から海外志向が強く、デビューアルバムは米国・ロサンゼルスで録音され、大御所女性シンガー・ソングライターのキャロル・キングも参加。発売当初から大きな話題を呼び、アルバムはオリコン6位を記録し、一気にポップス界の寵児となった。

 その後も佳作を発表し続け、デビューから5年後の77年には渡仏して仏CBSから「MAYUMI」(邦題「えとらんぜ」)を発表。全編仏語で日本人として初めて仏語で現地発売のLPを出した。

 77年6月22日付本紙では、約半年ぶりにフランスから帰国した五輪(当時26歳)のインタビューが掲載されている。「弾む心って感じです。77年は本当にダブルラッキーセブン。来年からは日本に半分、あと半分はアメリカとフランスになると思うんです。今までマイペースでやってきた活動がここにきて大がかりになるなんて…よしって感じ」と笑顔で語った。

 渡米は12回経験したが、渡仏は今回が初。それだけにフランス語の特訓が1日6時間。レコーディングのための発音練習は1曲について20時間にも及んだという。「世界を客に音を売る」という見出し通りの活躍だった。「歌ってやろうとしたことを完璧にやり遂げないとダメなタイプなんです。レコーディングはやれたし、日常会話ももう不足はない」。五輪はさっそく同23日に渡米している。

 80年には最大のヒット曲「恋人よ」を生み出して、82年発売の「心の友」が東南アジアでも大ヒット。インドネシアや中国でもビッグネームとなり、文字通りの国際的歌手となった。2000年代に入っても創作活動を続けてデビュー50周年を迎えた。現在「50周年アニバーサリーサイト」では貴重なライブや、様々な企画が公開されている。