15歳で歌手デビューし、今年で50周年を迎えた石川さゆり(64)。4月に発売した記念曲第2弾「虹が見えるでしょう」の異色コラボレーションが大きな話題を呼ぶなどノリに乗っている。「津軽海峡・冬景色」「天城越え」など歌謡史に輝く名曲の数々をお茶の間に届けて半世紀。歌うことを「生業(なりわい)」という石川に、新曲への思いや歌う覚悟などを聞いた。【松本久】

★軽快なアゲアゲ曲

「虹が見えるでしょう」は、軽快でリズミカルな夏にピッタリのアゲアゲ曲。まるで早口言葉のような歌詞が続き、最初は「これ、本当に石川が歌っているのか」と驚いた。

「そうでしょう! 私も最初はビックリしました。普段歌っている歌謡曲よりもテンポが3倍くらい速い。3倍速と思っていただけると分かってもらえるかなという感じです。『もう口が回りません』と言いながら収録をしたけど、本当のライブのようで楽しかった」

東京スカパラダイスオーケストラの谷中敦が作詞し、NARGOが作曲。異質なジャンルとのコラボが「石川の新たな魅力を引き出した」と大きな反響を呼んでいる。そのことに「今は『これでなきゃいけない』という時代ではないよって。今の自分が感じることを思いっ切りやってみればいいし、歌ってみればいい。そういう時代なんだと思います」。

コロナ禍の20年にYouTubeチャンネルを開設してライブ配信を始め、今年はインスタグラムをスタート。新しいことに貪欲に取り組んでいる。「いくら『コロナで大変だ』と言っても、その『大変』はなかなか明けないじゃないですか。だから自分にできることをやるだけ。とにかく歌を止めちゃいけない。どういう形であっても届ける」。

感染拡大が一時落ち着き、数カ月ぶりにファンの前に立った時は涙があふれた。「(長野県の)八ヶ岳高原音楽堂のコンサートでした。やっとお客さまと対面で歌える喜び。こんなにも、自分はみんなに会いたかったんだと分かった。1曲目は恥ずかしいくらいに歌えずに涙だけ流れて…。自分にそんな感情があったんだと知る驚きもありました」。

歌の持つ魅力や歌う喜びを「算数は1+1=2だけど、音楽は1+1=1000にも2000にもなる」と表現する。

「人の感情とか喜びや思いは、算数で教えてもらった通りにならない気がします。『体調が悪かったけど、さゆりさんのコンサートで歌を聞いたら元気になった』などと書かれた手紙を読むと、歌には数字に表せない不思議な魔法がいっぱいあるんだな~って思いますね。それを自分の生業としてこられたということは本当に幸せなこと。音楽は終わりなき、面白きことが起きる。これからも、それを探してみたい気がします」

★島倉千代子さんに憧れ

歌手への憧れを抱いたのは小1の時。母親と一緒に見た島倉千代子さんのコンサートがきっかけだった。「夢のような世界で、あまりの美しさに『いいなー、こういうふうになりたい』と思った」と振り返る。

15歳で歌手になってからも背中を追い続けた。77年に「津軽海峡・冬景色」で紅白歌合戦に初出場。この時、番組のエンディングで横に並んで手を握り、「あなたは来年もここで歌うのよ」と叱咤(しった)激励をしてくれたのも島倉さんだ。「小1の時に見た、きれいな紫色の振り袖が忘れられなくて歌手になりました」と明かすと、その着物をプレゼントしてくれた。「今でも宝物なんです」。そんな島倉さんが13年に他界。葬儀では「『さゆり、しっかりしろ!』という声が聞こえるようです」と涙声で弔辞を読んだ。

コロナ禍で「いつまでこれが続くんだろう」と気持ちが落ち込んだ時は、島倉さんの「しっかりしろ!」の声が聞こえる気がした。「先輩方はいろんなものを越えられた。私も頑張らにゃいかん、と」。憧れの人は今も見守ってくれている。

★「天城越え」で新境地

歌手生活で最大の転機は、86年に発売した「天城越え」にまつわるものだ。当時は長女が2歳。幸せの真っただ中で、女性の激しい情念を描いた歌詞に素直には共感できなかった。だが、作詞した吉岡治さんから「さゆりの持つ良妻賢母のイメージをこの曲で崩したい」との思いを伝えられると発想を180度変えた。「自分の経験や引き出しで歌おうとするからできない。でも、曲の世界を演じたり、想像をすることだったらできる。そう思ったら、歌えない歌なんてなくなったんです」。この時、曲の世界観を演じる“表現者”としての新境地が開けた。

紅白歌合戦では紅組最多の44回出場を誇るが、07年からは「津軽海峡・冬景色」と「天城越え」を1年ごとに歌唱し、昨年までに15年続いている。“定番”ともいえるが毎年、なじみの曲が新鮮に聞こえるのはなぜなのか? 「津軽-」を作詞した阿久悠さんは生前、「さゆりは歌を育ててくれる。さゆりとともに歌も成長する」と語っていた。「この言葉は本当にありがたくうれしかったです」と石川。歌は生きもの。自身の成長とともに、曲に新しい息吹をもたらして石川は毎年、ステージに立っている。

恩人の吉岡さんが10年に死去。この時に「これから何を歌えばいいのか。歌い手としての道が見えなくなった」という。途方に暮れた石川を諭したのが吉岡夫人だった。「もうパパの新曲はできない、これからはあなたが自分で人と出会って曲を探して歌っていかないとダメなのよとおっしゃったんです。『目からうろこ』とはこういうことかなって思いました」。

★日本文化の案内人

それからは「まずは多くの人と会うことから始めた」。ジャンルを越え、さまざまな音楽やアーティストと積極的に交流。2年後に生まれたのがアルバム「X-Cross-」(クロス=交わるの意)だ。クロスはシリーズ化され、14年、17年と続き、新曲「虹が-」を収録した第4弾を今月18日に発売した。ほかにも、童謡や民謡、浪曲、義太夫など伝統芸能も積極的に取り入れてきた。「自分の歌を通して、日本の文化の小さな入り口を皆さんにご案内できるのかなと思ったから」と説明する。

歌とは何ですか? 最後に問うと「『たかだか歌』って言われてしまうとそれまでですけど、最も生活に根付いているものが歌。それが忘れられないように、自分にできることはやっていきたい」。50年は通過点。人生を歌にささげ、常に向上心を忘れない石川はこれからも歌い続ける。

▼東京スカパラダイスオーケストラの谷中敦

世の中の暗さや日々のつまらなさを吹き飛ばす明るいお方です。優しくて強くて美しい人で、色気には母性と包容力を感じます。自分が書いた歌詞にも積極的に意見をくださいました。とってもうれしかったです。RECの現場で幸せそうにしているさゆりさんを見て、本当に音楽が大好きなんだなということが強く伝わってきました。

人柄と歌声に触れていると、人生に不可能なことなんてないと思えます。さゆりさんに勇気づけられている人のためにも、さらに輝いていて頂きたいです。

◆石川(いしかわ)さゆり

本名石川絹代。1958年(昭33)1月30日、熊本県生まれ。73年に「かくれんぼ」でアイドル歌手としてデビュー。77年に「津軽海峡・冬景色」が大ヒットし、同年に同曲で紅白歌合戦に初出場。昨年までに紅組最多の44回出場中。代表曲に「能登半島」「天城越え」「風の盆恋歌」など。19年に紫綬褒章を受章。血液型A。

◆アルバム「X-Cross4-」

クロスシリーズ4作目で5月18日に発売。東京スカパラダイスオーケストラとのコラボ曲「虹が見えるでしょう」や加藤登紀子が作詞作曲した「残雪」など8曲を収録。通算141枚目のアルバム。