フジテレビ系トークバラエティー「はやく起きた朝は…」(日曜午前6時30分)は、今年4月に前身から29年目の放送に突入した。プロデューサーを務めるのは、同局「オレたちひょうきん族」の“ひょうきんディレクターズ”の三宅デタガリ恵介としても知られた、三宅恵介エグゼクティブディレクター(73)。テレビレビ業界歴52年目の三宅さんに、あれこれと聞いててみた。

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ディレクターとして活躍する三宅さんの上司のプロデューサーが、2011年(平23)に73歳で亡くなった横澤彪さんだった。「オレたちひょうきん族」をはじめとして「笑ってる場合ですよ!」、「笑っていいとも!」などの人気番組をともに作り上げた。

「フジテレビのバラエティーでいうと、横澤プロデューサーの横澤班っていうのがあってね。あと80年代当時、ヒットしたのが『夜のヒットスタジオ』の疋田拓プロデューサーの疋田班。もう1人、石田弘プロデューサーの石田班。石田さんは、とんねるず石橋貴明君のダーイシのものまねでも知られるけど、『ミュージックフェア』とかを担当の純粋な音楽班だった。この3人が、年齢的には横澤さんが一番上なんですが、仲が悪かったんですよね(笑い)。他には『なるほどザワールド』の王東順プロデューサーの王班もありました」

人気看板番組を担当するプロデューサーがしのぎを削っていた80年代のフジテレビ。角突き合わせる上司の下で、現場の人間たちは協力し合っていた。

「プロデューサーはやり合っていたけど、その下のディレクター連中は逆に仲が良かったんですよ。仲良くやってかないと始まんないんで。例えば、水曜日に『ひょうきん族』を撮ってる時に、その夜に『夜ヒット』の生放送があるとする。現在、ポニーキャニオンの副社長をやっている井上信悟さんが『夜ヒット』のディレクターだった。信悟ちゃんが『桑田(佳祐)君が出るから、たけしさんとさんまさん、ちょこっと来てくれない』とか。プロデューサー同士だと成立しないんだけどね、『じゃあ、事務所だけは了解とっておけよ』みたいに合わせてね。香盤表をずらすとか、そういうのはやっていたんですよね」

プロデューサーと違って、現場で互いに融通し合い、協力し合っていたディレクター陣。

「今でも、信悟ちゃんとかなんかは交流あるしね。とんねるずなんかはね、石田班だから。石橋(貴明)君なんかは、僕なんかのところには『横沢班だから、出れねえ』とかで逆に笑いにしてたりとかだけど、現場はそんなでもないんですよね。上が仲悪いというか、それはしょうがない。会社の中でのやり合いでね。だからフジテレビが活気あったのかもしれないね」【小谷野俊哉】(続く)

◆三宅恵介(みやけ・けいすけ) 1949年(昭24)2月5日、東京都生まれ。慶大経済学部卒業後、71年にフジポニー入社。「欽ちゃんのドンとやてみよう!」「笑っていいとも!」「ライオンのいただきます」「タモリ・たけし・さんまBIG3世紀のゴルフ」「あっぱれさんま大先生」「ライオンのごきげんよう」などのディレクターを務める。80年フジテレビに転籍。81~89年の「オレたちひょうきん族」では「ひょうきんディレクターズ」の「三宅デタガリ恵介」としても活躍。90年からクリスマス深夜放送の「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」では、今も演出を務める。04年4月スタートの「はやく起きた朝は…」(日曜午前6時30分)では番組開始からプロデューサー。09年の定年退職後もフジテレビに嘱託のエグゼグティブディレクターとして在籍。千代田企画社長。