伊藤咲子が1974年(昭49)4月に発表したデビュー曲「ひまわり娘」(作詞・阿久悠、作曲LEVY SHUKI)。誰のために咲いたの、それはあなたのためと歌う。男の子と女の子のラブソングは、当時16歳だった伊藤のさわやかな笑顔と伸びのある歌声で大ヒットした。

作詞はヒットメーカーの阿久悠氏。伊藤は73年に、15歳で日本テレビ系の伝説的なオーディション番組「スター誕生!」に出場し優勝した。

この年、第4次中東戦争の影響で石油価格が高騰。第1次オイルショックが世界を襲った。日本でもトイレットペーパーの買い占めなど市民生活は大混乱した。「狂乱物価」という言葉が生まれ、1950年代末から続いた高度経済成長の終焉(しゅうえん)と言われた。

「スター誕生!」の審査員だった阿久悠氏は、伊藤のデビュー曲を作詞する際に思いを込めた。「伊藤咲子のキャラクターと歌声で、オイルショックの暗い世相を明るくしたい」。そうして生まれたのが「ひまわり娘」だった。

それから48年後の今年5月16日。伊藤は日本歌手協会創立60周年記念の「輝け!歌の祭典2022」のステージに立った。数多くのひまわりをあしらった黄色い衣装に、ブルーのリボンを腰に巻いて「ひまわり娘」を歌った。

ひまわりはウクライナの国花。黄色と青はウクライナの国旗の色である。ロシアによるウクライナ侵攻が続いていた。日本歌手協会の合田道人理事長(60)が「60周年よかったね、だけのステージではいけない。歌手として何ができるか。観客と一体となって平和を祈念するコーナーを設けたい。観客にペンライトを配り、歌手の歌声に合わせ平和を祈って振ってほしい」と演出した。伊藤はその大役を担った。

第1次オイルショックで石油価格が高騰したように、ロシアのウクライナ進攻で世界はエネルギー危機に見舞われ、エネルギー政策の転換を迫られている。約半世紀の時を経て、「ひまわり娘」は男の子と女の子の淡いラブソングではなく、”反戦歌”となった。伊藤の歌声に合わせ、平和の祈りを込めた観客席のペンライトが揺れた。

伊藤は「ステージで歌っていて鳥肌が立ちました。涙が出そうになりましたが、泣いちゃ絶対にダメ。それだと歌う意味がないと言い聞かせました」。

ウクライナで「ひまわり娘」がラジオで流れ、歌われていると人づてに聞いた。「『ひまわり娘』はひとりのためのラブソングでしたが、ウクライナのすべての人たちのための歌になりました。歌にはすごい力があるんです」。

サビの部分では、涙はいらない、ほほえみをと繰り返して歌う。

伊藤は「歌詞の通り、笑顔でいれば必ず幸せは来ると信じだい。私はいくつになっても『ひまわり娘』ですから、この曲を歌い続けます」と誓った。【笹森文彦】