歌手湯原昌幸(76)と菅原進(75)が、9月3日に東京・新宿ケントスで「昭和歌謡黄金時代」を開催する。夏木ゆたか(74)が加わって昭和歌謡を歌う「3人が織りなす3つの色味“SHOW和”」をテーマに、湯原はグループサウンズ、ビリー・バンバンの菅原はフォークソングを歌う。総合司会は、元ビリー・バンバンでもあるせんだみつお(76)。後期高齢者になっても、一層盛んな湯原と菅原に、話を聞いた。【小谷野俊哉】

来月3日、昭和の音楽がよみがえる。

湯原 僕は17歳で「スウィング・ウエスト」のボーカルになりました。カントリー&ウエスタンのバンドでしたが、時代が変わってグループサウンズでした。その後、ソロになって1971年(昭46)に「雨のバラード」がヒットしました。

菅原 69年に兄貴の孝(79)との兄弟デュオ、ビリー・バンバンでデビュー曲「白いブランコ」がヒット。苦労してないって言われるけど、兄貴との関係で一番苦労してる(笑い)。解散して、また組んで2人とも病気して…。07年に出した「また君に恋してる」が焼酎「いいちこ」のCMソングになって、今も歌い継がれているのはうれしい。

ヒット曲があるのは強い。「雨のバラード」も「白いブランコ」も50年以上前の曲だが、その旋律は世の人の記憶に息づいている。

湯原 50年も前なんて気はしないね。昭和は音楽を、みんながちゃんと聞いてた時代なんですよ。他に娯楽がないわけじゃないけど、音楽がメインだった。昭和は三橋美智也さん、村田英雄さん、三波春夫さんという時代があって、そこから橋幸夫、西郷輝彦がいたわけだけど。ビートルズが一丁かみしてきて、ロック、グループサウンズ、フォークとガラッと変わった。

音楽的に大きな影響を受けた存在がいた。

湯原 僕はクリフ・リチャード。エルビス・プレスリーは、もっと前。プレスリーの後で、ビートルズの前。僕が少しソフトタッチに歌うようになったのは、彼の影響だと思う。

ビリー・バンバンは、日本のカレッジフォークの代表だ。

菅原 僕が影響を受けたのは、フォークじゃないですよ。ビートルズも好きだったけど、フォークロックね。例えばピーター&ゴードン、クリフ・リチャードね。結構渋いのが好きだった。

半世紀を超える長いキャリアではピンチもあった。

湯原 この世界に入ってずっとやってきて、もう60年近い。毎回ピンチだよね。でもね、1回いい思いをしたから、それが頭の隅にあって、少なくともそこに気持ちを戻すってことが、ある種、心の救いになる。

菅原 ピンチになったことはあるんだけど、その時には別にネガティブに思わない。1度解散したり、病気になった時もネガティブにはならなかった。運命なんだって気持ちだよね。

湯原は83年に歌手、女優として活躍していた荒木由美子(63)と結婚。湯原が36歳、荒木が23歳。荒木は結婚と同時に家庭に入って引退した。

湯原 当時は年下だなんて、これっぽっちも考えてないわけ。同じ世界にいて、いろいろな若い女の子がいたけど、由美子の「明るさ」と「強さ」と「賢さ」。この3つを感じていた。僕も36歳で、荒木由美子がいてくれて、たまたま年が13歳違っただけ。

デビューから6年、まだ23歳の荒木の結婚、引退は大きな波紋を呼んだ。

湯原 そりゃ、由美子には反対の声もあったでしょう。ただ僕に対して、直接は何もないです。その3年前に由美子の事務所の先輩でもある山口百恵さんが、21歳で結婚してきっぱりと辞めていた。由美子は「あのように自分も辞めたい」と、どこかで決めていた。

引退して家庭に入って2週間後に、湯原の母が倒れた。翌年には長男が生まれる中、介護生活は亡くなるまで20年に及んだ。

湯原 彼女は佐賀出身で、向こうの家庭のしつけもあった。結婚する時に「由美子、うちは俺、1人っ子だからばば付きだよ」って言ったら「私はお年寄り好きだから」と言ってくれた。だから結婚に行けた。本当に献身的に介護してくれて、90%は由美子がやってくれた。

結婚から40年。湯原も76歳、後期高齢者と言われる年齢になった。

湯原 由美子がおふくろを大事にしてくれたから、今度は俺が由美子を大事にする。おふくろが亡くなって介護が終わって、翌04年に「覚悟の介護」っていう本を出すことになった。それがきっかけで、タレント活動を再開することになった。そういう意味では一生懸命努力してますよ。

菅原が09年に再婚した知子夫人は25歳差のピアニスト。昨年公開の映画「ドラえもん のび太の宇宙小戦争2021」の挿入歌「ココロありがとう」を夫婦で一緒に作曲した。

菅原 女房が26歳くらいから10年くらい付き合ってから結婚した。彼女が、というより、僕が彼女を尊敬してる。僕がよく彼女に話を聞いて。例えばコンサートとかやる時にピアノをやっているからアドバイスもらって、伴奏してもらったりとかね。

後期高齢者だが、まだまだ元気。今回の公演はもちろん、これからも意欲的に仕事をこなしていく。

湯原 今までやってきたことを継続することが“命”なわけで。まあ、やっぱり1回ヒットすると、今だって仕事がある。一時期「雨のバラード」も、もういいんじゃないって思ったけどね。でも、昭和からのことを掘り起こしてくれる時代になったら、逆にありがたい。

菅原 大事に歌いたいってことだよね。そうなってきたね。若い頃と違うからね、全然違う。若い頃は、なんか義理でやってるみたいな。義理の流れで歌うみたいなこともあったけどね(笑い)。

◆菅原進(すがわら・すすむ)1947年(昭22)9月21日、東京・国立市生まれ。66年、ビリー・バンバン結成。69年に兄孝とデュオで「白いブランコ」でデビュー。72年に「さよならをするために」でNHK紅白歌合戦出場。76年解散。81年、ソロで「琥珀色の日々」。84年に再結成。07年、「また君に恋してる」発売。

◆湯原昌幸(ゆはら・まさゆき)1947年(昭22)3月5日、茨城県牛久市生まれ。64年バンド、スウィング・ウエストに加入してボーカル。70年に「見知らぬ世界」でソロデビュー。71年、スウィング・ウエストの「雨のバラード」をリメークして120万枚超の大ヒット。03年「冬桜」がヒット。