歌手ASKA(65)が17日、ブログを更新。子どものころから知る友人で歌手のKANさん(本名・木村和=きむら・かん)との思い出をつづり、追悼した。

ASKAは「天才『木村和』逝く」のタイトルでブログを更新。「5歳の頃の『木村和』を知ってるのは、業界では僕だけでしょう」と書き出し、「KANが5歳と6歳の時、2回『缶蹴り』して遊んだんだよな。大人になってからは、スタレビの要(カナメ)と僕で『和蹴り』して遊んだ。ステージ上でね」と、スターダスト☆レビュー根本要をまじえた交流を振り返った。

「愛は勝つ」が大ヒットしていた当時、KANさんと“再会”するも、幼少期に缶蹴りをして遊んだ木村和少年だとは気づかなかったという。その後、フジテレビ系連続ドラマ「101回目のプロポーズ」の主題歌をCHAGE and ASKAとして担当することになり、「『愛は勝つ』のような曲を作りたい」との思いで作ったのが「SAY YES」。「なので、KANがいなかったら『SAY YES』は生まれてなかった」との秘話を明かすとともに、「それから、間も無くだな。福岡の実家、斜め前の家の奥様から、あの時、2回遊んであげたことのある子供が『木村和』であったことを聞かされるわけです。バタバタと記憶のページをめくりに捲って、その時の光景にたどりついた。『あ、あいつだ。子供のくせにネクタイしめて紺のカーデガン着てたやつだ』」とつづった。

それから30年来の付き合い。「5歳の頃にネクタイを締めていたおぼっちゃま木村和は、僕たちアウトローとは違って、オーケストラのスコアをも書ける『音楽家』と呼べる存在だった。天才ミュージシャンですよ」と、その才能を絶賛。「あいつは、そんな音楽家でありながらも、コントやギャグには厳しかった(笑)」と、人柄も紹介した。

先月、フランス旅行をしたKANさんから土産を受け取ったばかりだったが、その直後に病状が急変。すぐに見舞いに行くと、「あんな状態になってでも『ギャグ』という言葉に反応した(笑)」と病床のKANさんの様子をつづった。

KANさんから最後に電話で告げられた言葉は「3回も約束を破ってごめんなさい」だったという。その“3回”とは「一緒に乗り越えようとしたこと」だといい、「でも、無理もない。僕がKANでもきっと無理だった」。

「KAN、ありがとう。オレの前に現れてくれてありがとな」と感謝。KANさんが還暦を迎えた際に写真館で撮ったものだという、赤い振り袖で女装した姿の写真を公開し、「なんなんだよ、お前は・・・。KAN、愛してるぞ。オレも、いつか『あっちにポン』するから。その時は、迎えに来てくれな。ありがとう」とつづった。

KANさんは今年3月に「メッケル憩室がん」と診断されたことを公表し、コンサートツアーを中止。3月以降は、演奏活動を休止し、療養生活を送っていた。61歳だった。