2月24日に心不全で死去した左とん平さん(本名肥田木通弘=ひだき・みちひろ)のお別れ会が3日、東京・青山葬儀所で開かれ、発起人代表の里見浩太朗(81)が弔辞を読んだ。

 遺影を見つめ、語りかけるように「とんちゃん、こんなに早くお別れなんて、夢にも思っていなかったよ」と呼びかけた。

 続けて「とんちゃん。去年の6月の18日に、とんちゃんの傘寿の会をやろうと、仲間でホテルを予約したんですよ。とんちゃんも知ってる? でもその前に、とんちゃんはホテルに行かず病院に行っちゃった。心筋梗塞、2~3週間で帰ってくるかと思ってホテルの予約はそのままにしたけど、とんちゃんは帰ってこなかった。僕はとんちゃんと入院している間もどうしても顔が見たくて、マネジャーに何度もしつこいって言われるほど電話したけど、もうちょっとということで、何度も何度も電話したんだよ。でも、とんちゃんの笑顔は見れなかった。あのホテルの予約のキャンセルしたお金は払っておいたから大丈夫だよ」。

 さらに「3月2日に家に帰ってきたと聞いたので会いに行ったよ。2階の部屋で寝てた。よく見るとなんだか寝間着じゃなくてゴルフウエアを着て、ベストも着てた。とんちゃんの寝顔からパッと目が開いて『こうちゃん、行こうか』って聞こえてくるような顔でした。ゴルフの時はときどきお宅へ迎えに行ったよね。だいたい時間より出てくるの遅いけど、何回かゴルフなのに、朝8時ごろマージャン屋に迎えに行ったこともあったよね。そういう時にかぎって、とんちゃん、スコア出るんだ」と思い出を交えて語りかけた。

 そして「今VTRで見たように、とんちゃん、いい仕事たくさんしていたんだね。いつも何を考えているのか分からない、せりふを覚えてるのか分からないような顔をしてたけど、監督が『カット』って言うと、してやられたと思うような、いい芝居を見せてくれました」と続けた。

 最後は「もう1度、仕事をしたかった。もう1度、遊びをしたかった。しょうがないね。僕はもうちょっと、仕事するよ」と語りかけた。