新日本プロレスの“野人”中西学(53)が22日、東京・後楽園ホール大会で約27年間にわたる現役生活にピリオドを打った。バルセロナ五輪にも出場したレスリングエリートは、1992年のデビューから比類なきパワーファイトと豪快なキャラクターで愛された。ラストファイトで完全燃焼した野人は、晴れやかな表情でリングを下りた。

 中西は常に切磋琢磨してきた永田裕志(51)、天山広吉(48)、小島聡(49)と最後の「第3世代カルテット」を結成。オカダ・カズチカ(32)、棚橋弘至(43)、飯伏幸太(37)、後藤洋央紀(40)組と対戦した。永田をアルゼンチンバックブリーカーで担いで敵軍に投げつけていくという破天荒な攻撃を繰り出し、野人ファイトの真骨頂を見せつける。

 さらに棚橋にヘラクレスカッターを決めると、戦前の予告通り右手を天にかざし大☆中西ジャーマンを狙う。これを寸前で阻止されると、猛反撃にさらされた。後藤のGTR、飯伏のカミゴェ、オカダのレインメーカーと現トップ選手のフィニッシュホールドを連続で浴び、棚橋のハイフライフローに圧殺されついに最後の3カウントを聞いた。攻める時も散る時も豪快そのもの。これぞ中西のプロレスといった集大成だった。

 引退セレモニーには入団当時の社長である坂口征二相談役(78)、デビュー戦のパートナーだった藤波辰爾(66)、そして専修大学レスリング部の先輩でプロレス入りの恩人、馳浩(58)と長州力(68)が来場。27年間をねぎらわれると同時に、引退後の人生へ激励の言葉を贈られた。

 中西は「奇跡のように五輪出られて、大したことないのに新日本にとってもらって、いい気になって失敗もして。でもみんなに支えられて、なんとか、なんとかここまでやってこれました。これで終わりやなくて、現役は終わりなんですけど、一度プロレスをしたからには、死ぬまでプロレスラーやと思ってますんで。第2の人生、思いっきり歩んでいきたいと思います」とあいさつ。引退の10カウントゴングを聞いた。

 引退後は地元・京都で家業でもある茶農家を手伝いながら、プロレスに携わることを希望している。エリートとして入門し、1999年にG1クライマックスを制覇すると、2009年にデビュー17年目にしてIWGPヘビー級王座を奪取。11年に中心性脊髄損傷の大けがを負いながら復活を果たし、27年間のプロレス人生を全うした中西は「最高のパートナー、最高の相手、最高のものを揃えてもらった。いろんなことで失敗してきたけど、お客さん第一でやってきた。(後輩たちに)これだけは忘れないでほしい」とメッセージを残した。