大相撲の元関脇豊ノ島(36=時津風)が現役を引退し、年寄「井筒」を襲名した。今後は時津風部屋付きの親方として後進の指導にあたる。今回の引退の発表に際し、通常は師匠が同席して開かれる会見は行われなかった。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、豊ノ島の対応は電話での代表取材のみ。ここにもコロナ禍の余波が及んだ格好となった。

 豊ノ島は高知・宿毛高から2002年初場所初土俵。身長170センチ足らずの小兵ながら、技巧派力士として三賞合計10回、三役通算13場所などの実績を残した。10年九州場所では14勝を挙げ、横綱白鵬(35=宮城野)との優勝決定戦は大一番として注目を集めた(優勝は白鵬)。一方で、16年名古屋場所前に左アキレス腱を断裂し、幕下まで転落した。

 そこから奇跡の復活劇で再入幕を果たしたが、再び幕下に陥落した春場所は2勝5敗だった。豊ノ島は「大阪場所で負け越したらやめるつもりだった。僕の中では決めていた」と引退決断の経緯を説明。入門前からのライバルで親友の幕内琴奨菊(36=佐渡ヶ嶽)の名前を挙げて「もう一回、キクとやりたかった」と心残りも口にした。

 土俵外の活躍も光った。テレビのバラエティー番組などでは、角界随一のトーク力で存在感を発揮。ビートたけし(73)らタレントのモノマネはプロ芸人も顔負けのクオリティーで人気者になった。角界が不祥事の相次いだ低迷期から復活する過程で、大相撲のイメージ回復に貢献した“功績”も見逃せない。世代交代が進む中でまた一人、昭和生まれの個性派力士が土俵に別れを告げた。