【この人の哲学:芹澤廣明(作曲家)】中森明菜、チェッカーズ、さらには「タッチ」や「キン肉マン」「機動戦士ガンダムΖΖ」の主題歌など数多くのヒット曲を生み出し、最近は米国デビューも果たした作曲家、芹澤廣明氏(72)。中森明菜に提供した「少女A」が大ヒットしたことで、環境が激変したという。

 ――作詞家・阿久悠さんたちとのゴルフで、事務所の人に「1000万円なんてすぐ」と作曲家になることを勧められたと

 芹澤氏 その時は「いいですよ」と答えたけど、できるとは思ってませんでした。CM曲って13・5秒とか5・何秒だからね。3分とか4分とか作ったことなかったから。

 ――苦戦しましたか

 芹澤氏 作り始めたら「意外にできるな」って。1曲目は青江三奈さんのシングルB面でした。初めてレコーディングに立ち会ったら青江さんがいて、「あ、いる。すごいな。テレビで見てるまんまだな」って(笑い)。そのうち「アルバム曲書かないか」と言われ、書いてるうちに売れる曲が出てきたんです。「少女A」ですね。

 ――1982年の中森明菜の大ヒット曲です! 中森の2枚目のシングルで初ヒット曲でした。作詞の売野雅勇さんとは、その後チェッカーズの作品も多数生み出しています

 芹澤氏 大ヒットして、翌年びっくりしたんですよ。「こんなにお金が入ってくるのか!」って。それで決めたんです。作曲家に専念しようと。心を入れ替え、他のことはやらず、作曲家一本でいくと。

 ――他のことというと

 芹澤氏 アルバイト的な仕事ですね。それまでやっていたCMソングとか、すぐお金になる仕事。曲書いて、さらに歌と演奏までやると30万円にはなりました。一回やれば1か月仕事しなくても生きていけたけど、それに頼ると頭打ちで先はない。その仕事があると思わず、封印して、曲作りに専念することにしました。

 ――自分を追い込んだんですね

 芹澤氏 実際、ヒット曲が出たことでCMの方も単価が高くなるから、僕に頼みにくい状況にもなってましたしね。ヒット曲が出るといろんなことが一変して、びっくりしましたよ。

 ――何が変わりましたか

 芹澤氏 まず、周りの人の態度。コロッと変わりました(笑い)。それまで「ヒロ君」と呼ばれ、コーラス入れ1時間1万5000円ぐらいで使われていたのに、突然「先生!」と呼ばれるようになったから(笑い)。最初は誰のことか分からなくてね。「え!? 俺のことなの!?」って(笑い)。ギャップがあり過ぎて、ヒット曲を出すとこんなに変わるんだと、ある種感心しました。

 ――稼ぎも大違いですね

 芹澤氏 CM曲を作ったり、演奏したり、コーラス入れたりを毎日やってると、月に何十万かは稼げたから、その生活も捨て難かったけど、ヒット曲で入ってくるお金はケタが違いました。それまで500万円ぐらいだった年収が、翌年は2500万円。申告したら、税務署の人が「これは何事ですか!?」と驚いてました(笑い)。「俺もよく分からないんですよ」と答えたけど(笑い)。

 ――阿久悠さんたちとのゴルフに誘われたのをきっかけに、人生が一変したんですね

 芹澤氏 そうですね。後で聞いたら、ゴルフがうまかったから呼ばれただけだったみたいだけど(笑い)。僕はシングルだったから。阿久さんは下手だったけど(笑い)。

 ――阿久さんはどんな方でしたか

 芹澤氏 ゴルフの後、静岡・御前崎の料理屋で荒木とよひささんや三木たかしさんが「阿久さんを早く引退させよう」なんて話してて、阿久さんはそれを聞きながら笑ってました。その時の僕は全く無名だったけど、阿久さんはちゃんと相手をしてくれました。楽しかったです。 

 ☆せりざわ・ひろあき 1948年1月3日生まれ。神奈川県横浜市出身。歌手、ギタリスト、作曲家、音楽プロデューサー。高校在学中から米軍キャンプで演奏し、67年にGSグループ「ザ・バロン」を結成して69年にデビュー。解散後に若子内悦郎と「ワカとヒロ」を結成。その後、作曲家として中森明菜「少女A」(82年)、チェッカーズ「涙のリクエスト」(84年)、岩崎良美「タッチ」(85年)ほか多数のヒット曲を生み出した。2018年に自ら作曲した「Light It Up!」を歌い全米デビュー。今年5月には芹澤氏作曲、売野雅勇氏が英語詞を担当した全米3枚目のシングル「Julia」が発売された。