【ダイアモンド☆ユカイ 昭和ロックを語る時が来た!:エディ藩編】「レッド・ウォーリアーズ」のボーカル、ダイアモンド☆ユカイ(59)が、ゲストを招いて昭和の日本に巻き起こったロックムーブメントをひもとく。ゲストは伝説のバンド「ザ・ゴールデン・カップス」のギタリストとして活躍したエディ藩(73)。今回はローリング・ストーンズがヒット曲「サティスファクション」で使用し、世界に広まったエフェクター「ファズ」を巡る話。日本に最初に持ち込んだのはエディだった!?

 ユカイ ファズを初めて日本に持ち込んだ話、言わないようにしてるって、なぜですか?

 エディ それ言うと、ムッシュ(かまやつ)が怒ったんだよ(笑い)。「最初に使ったのは俺だ!」って。でも俺はね、さっきから話してるこのアメリカ旅でギブソンのファズを買って持ち帰ってた。だからそうは言わないにしても、早かったのは間違いないね。

 ユカイ ということは、1966年ですね。デビュー前から持ってたんだ。アメリカで買おうと思ったのはなぜですか?

 エディ ロスのディズニーランドでヤードバーズを見たって話したじゃない。その時、一番前に陣取って、ジェフ・ベックの演奏をずっと見てたんだよ。細かい部分までしっかり見てやろうと。すると、ジェフ・ベックが足元で何かいじってる。なにやってるんだろ? あ、あれをいじるとああいう音が出るのか、ってわかって近くで見たら「Gibson」「FZ」と書いてあった。

 ユカイ ファズはローリング・ストーンズが「サティスファクション」(1965年)のリフで使用して広まったから、その翌年ですね。当時は外国の情報を入手するのが大変だったから、ストーンズがファズを使ったとか、そんな細かい情報、日本には入ってなかったんじゃないかな。アメリカのどこで買ったんですか?

 エディ あの音を出したくて、見た翌日にすぐ買いに行ったよ、ハリウッドの楽器屋に。こういうのありますかって。確か50ドルだった。

 ユカイ 60年代は1ドル=360円の固定相場だったから、1万8000円ぐらいですね。

 ――ちなみに当時の国家公務員の大卒初任給は2万3000円ほどでした。平成31年は18万6700円です

 ユカイ ざっくり言うと今の感覚で15万円弱ぐらい!? 持ち帰ったファズはどうしたんですか?

 エディ ここ、ゴールデンカップでも使ってたんだけど、それを見た沖津久幸くんが「ザ・ジャガーズでデビューが決まったから、それ貸してくれ」って。子供のころから先輩だったし、しょうがなく貸したら、戻ってこなくてさ。で、しばらくしたら同じようなのが売られてた。変な楽器屋の手に渡って、そこが似たの作って販売してたんだよ。昔のは中に設計図が入ってたからさ。配線とか書いてあった。

 ユカイ 設計図が!? 修理用に入れてたんですかね。すごい話!

 ――ジャガーズは1967年デビュー。デビュー曲の「君に会いたい」が大ヒットしました

 ユカイ エディさんはプロになる前からフェンダーのジャズマスターとテレキャスター、ギブソンのアンプとファズを持ってたんですね。それだけ揃えられた人、当時の日本にどれだけいたか。

 エディ 一度、国産の安いギターを買ったことがあったんだけどさ。〇〇〇〇〇ってメーカーの。すぐネックが反るし、音もペンペンでどうしようもなくて。

 ユカイ もうなくなったメーカーですね。俺が初めて買ったのも、それだったかも(笑い)。ビートルズも使ってたリッケンバッカーは?

 エディ リッケンバッカーね。面白い話を思い出した。ビートルズ来日前に、“インチキビートルズ”が来日したことがあってさ。知ってる? 

 ユカイ インチキビートルズ!? なんですかそれ!

 ☆エディ・バン 1947年6月22日生まれ。神奈川県横浜市出身。デイヴ平尾らとザ・ゴールデン・カップスを結成し、67年に「いとしのジザベル」でデビュー。グループ名は出演していたライブハウス・ゴールデンカップから。脱退、復帰を経て同グループは72年1月に解散。以後はソロで活躍。作曲した「横浜ホンキー・トンク・ブルース」は数々の歌手、俳優に歌われている。

 ☆ダイアモンド・ユカイ 1962年3月12日生まれ。東京都出身。86年にレッド・ウォーリアーズのボーカルとしてデビュー。89年に解散後、数度再結成。