11日、神宮球場で「野村克也をしのぶ会」が行われ、阪神、楽天の両球団で野村監督付広報を務めた阪神・嶌村聡球団本部長も出席した。

「僕もあのころは、毎日毎日が必死でね。毎日毎日、口から出ることがエピソードだった(笑)」と2球団、7年間に渡り仕えた名将との日々を思い起こしたという。

 現在は阪神の編成部門のトップの立場でもある嶌村本部長は「野村監督はいつも論立ててやっていた。なかなかない参考書。私は監督ではないんですが、フロントの私であれば人作り、チーム作り、組織作り。野村監督がおっしゃっていたことを参考にしながら実践しながら」と現在でも、野村さんの教えや考え方は、球団編成や組織にも大いに役立っているという。

「野村監督の野球、監督の考え、それを次の世代に何とかつなげていきたいと。ひとつの役目が考え方が確立されていく。わかりやすい、理に叶っている。それで、そこには愛情がある。とっつきにくいオッサンみたいな感じありますけど、記者の方もそうでしょうけど、行ったら行ったで無茶苦茶、面白い。味があり、やさしい。そういった人間になりたい。阪神としても、そういうフロントマンを作っていきたい」。 

 野村さんにとって、阪神監督時代は3年連続最下位と苦悩と屈辱にまみれた〝暗黒期〟ではあったが、そんななかでも故人が遺した〝イズム〟は、確実に次代に引き継がれている模様だ。