愛のある〝スパルタ指導〟だった。全国高校サッカー選手権を6度制した長崎・国見高を率いていた小嶺忠敏氏(現長崎総合科学大付監督)が7日、死去した。76歳だった。長崎総科大付は第100回を迎えた選手権にも出場していたが、小嶺氏は体調不良でベンチ入りしていなかった。

 これまでFW高木琢也(J3相模原監督)やMF三浦淳寛(J1神戸監督)、FW大久保嘉人ら多くの日本代表選手を輩出してきた。高木氏はかつて「小嶺さんの練習はとにかく厳しかった。早朝から3連続で試合をしたこともあるし、あれに比べたら社会人やプロになってからの練習は楽に感じたね」と力説。また三浦氏も以前に「とにかく〝走れ走れ〟だったからね。学校裏の山を走るのはきつかったし、いつ終わるかわからないのもつらかった。僕らの時代くらいまでは本当にヤバかった」振り返る。

 また、国見高といえば高校サッカーでは異例の全員が丸刈りがトレードマーク。OB選手は「監督のいうことは絶対ですから。少しでも伸びていると、小嶺先生がバリカンを持ってくる。当時は嫌だったけど、試合では相手を威圧する武器でもあったかな」とし「(大久保)嘉人が入ったころにはだいぶ丸くなっていた」と時代とともに指導も変化していった。

 かねて国見OBは「厳しかったし、今でも会えば緊張するけど小嶺さんには愛があったから」と話していたが、日本サッカー界を支えた名指導者だったのは間違いない。