【久保康生 魔改造の手腕(25)】阪神で2010年から10シーズンにわたって在籍。NPBでの外国人投手記録を多数保持するランディ・メッセンジャー投手の活躍は、ファンの皆さんの記憶に新しいでしょう。

 ただ、彼の活躍も最初から盤石だったわけではありませんでした。もともと、腕が横振りで踏み出した左足が開いてしまう悪癖を持っていました。

 10年宜野座キャンプ初日のキャッチボールを見て即、これは何とか改善しないといけないと感じました。

 当時、通訳を務めてくれていた永田俊紘くん(ヤクルト・アナリスト)を呼び止めて、思わず「これはひどいな」と嘆いてしまったのを今でも覚えています。

 ただ、メジャーも経験してきている投手をすぐに触るわけにはいきません。ある程度のところまでは我慢が必要だと見守っていました。

 当時、就任2年目だった真弓明信監督も「獲ってきてもらったんやから使わなあかんやろ」と辛抱していましたが、どんどん痛打を食らってしまうわけです。

 前年度まで在籍していたスコット・アッチソンに代わるセットアッパーとして獲得したメッセ。しかし、期待とは裏腹に不安は的中しました。4月下旬には登録抹消となってしまいました。

 ただ、二軍に落としただけではありません。そのシーズンは開幕直後にジェイソン・スタンリッジを獲得するなど、人事面での事情もあったため、いろいろと説明した上でのファーム行きとなりました。

 一軍が甲子園にいる時には鳴尾浜に様子も見に行きました。腕が下がって体が開く悪癖を修正するために、ミッションも与えました。

 途中入団したスタンリッジが活躍し、カーブを有効に使っていた背景もあり、その例を使いつつメッセにも投球を説明しました。

 メッセは素直に私の話に耳を傾けてくれました。カーブを投げる際にはボールがこう縦割りでくる。時計でいう2時ぐらいの位置から8時から7時の軌道で抜けていく。

 スタンのカーブをまねてみてほしいと話しました。メッセは3歳年上のスタンにライバル心を持っていて、そうした心理も利用させてもらいました。

 カーブを投げるためには手首を立てないといけない。そうすると腕も横振りから、縦振りへと徐々に変化していく。二軍投手コーチだった中西清起に預け、連絡を取りながら変化を見守りました。

 シーズン中盤、先発投手不足となった背景もあり、中西コーチから「先発をさせてみては」と打診がありました。

 そこからファームで先発起用をするうちに、どんどん調子が上向いてきました。

 視察に行くとカーブを投げ続けた効果が出ていました。しっかり手首が立って腕も縦振りになっていました。同じリリースの位置から直球も出るようになっていました。

 これなら十分に使える。そう思った私は7月に一軍に引き上げることを決めました。

 来日1年目は26試合に登板し14先発、5勝6敗、防御率4・93と不安定でしたが、翌11年から変身を遂げることになります。

 ☆くぼ・やすお 1958年4月8日、福岡県生まれ。柳川商高では2年の選抜、3年の夏に甲子園を経験。76年近鉄のドラフト1位でプロ入りした。80年にプロ初勝利を挙げるなど8勝3セーブでリーグ優勝に貢献。82年は自己最多の12勝をマーク。88年途中に阪神へ移籍。96年、近鉄に復帰し97年限りで現役引退。その後は近鉄、阪神、ソフトバンク、韓国・斗山で投手コーチを務めた。元MLBの大塚晶文、岩隈久志らを育成した手腕は球界では評判。現在は大和高田クラブのアドバイザーを務める。NPB通算71勝62敗30セーブ、防御率4.32。