【久保康生 魔改造の手腕(33)】阪神では2005年から11年、13年から17年の期間、投手コーチとしてお世話になりました。その間に本当に多くの選手とのご縁をいただきました。
近鉄が合併消滅後の05年、岡田阪神の一軍投手コーチに就任したときの感覚は今でも印象に残っています。
周囲の目は「お手並み拝見」というスタンスで、さまざまな角度からメディアなどを通じご意見をいただきました。
ただ、私のやることははっきりしていました。その時点で自分が培ってきた最高のものを選手に提供させてもらう。どんな大物選手でも悪いものは悪いとしっかり指摘する。そういう信念の下にベストを尽くしました。
あとは選手たちが残してくれた結果が我々の評価につながる。そう思っています。私の手を離れても、その後に結果を残してくれる選手たちの存在も非常に励みになりました。
アッチソン、ボイヤー、ドリスもそうでした。MLBでさらに完成度を上げて、輝かしい成績を残してくれました。
07、08年にご縁のあったライアン・ボーグルソンは米球界復帰後に、ワールドシリーズ制覇も経験しています。
阪神在籍時は2年で10勝10敗。防御率も4点台で一足飛びに成果は出せませんでした。09年にもう1年、オリックスでNPBを経験し、10年はエンゼルス傘下のマイナーでプレーするも、満足な活躍ができずにいました。
阪神在籍時には沖縄・宜野座キャンプでネットピッチングをよくやったのを覚えています。ただ、後々にそういう努力が引き出しになり、成功する秘訣をつかんでくれた。そう信じています。
11年に古巣のサンフランシスコ・ジャイアンツに移籍すると、球宴にも出場しチーム最多タイの13勝を挙げ飛躍しました。
翌12年にはアリゾナキャンプを視察した際、スコッツデールで再会し努力の成果を感じました。
制球力と直球、変化球のコンビネーションが格段によくなっていました。「当時、日本で一緒に取り組んだことが今できてるやん」と話すと、うれしそうに笑ってくれました。
その12年、ボギーはシーズン14勝を挙げ、ワールドシリーズ第3戦では勝利投手となり世界一に貢献しました。
メッセもスタンもボギーもそうでしたが、カウント不利になり、捕手のサインに首を振れば8割方、苦し紛れの直球という投手でした。
本当にプロがそんななのかと疑うかもしれませんが、本当にそうでした。それが現実でした。プロの世界、球種が読まれれば打たれます。ピッチングというものはそうじゃない。直球あっての変化球であり、変化球あっての直球です。チェンジ・オブ・ペースです。
そこを受け止めてくれたのは成功してくれた投手たちです。ボギーはアメリカに帰って、変化球の使い方が格段にうまくなっていました。
右腕のテークバックがコンパクトになり、体の前で手を振るということが帰国後にできるようになっていました。その結果、腕の振り遅れがなくなり制球力が備わっていました。
結果を出して選手が幸せになってくれる。その事実がコーチとしての満足度を高めてくれます。
☆くぼ・やすお 1958年4月8日、福岡県生まれ。柳川商高では2年の選抜、3年の夏に甲子園を経験。76年近鉄のドラフト1位でプロ入りした。80年にプロ初勝利を挙げるなど8勝3セーブでリーグ優勝に貢献。82年は自己最多の12勝をマーク。88年途中に阪神へ移籍。96年、近鉄に復帰し97年限りで現役引退。その後は近鉄、阪神、ソフトバンク、韓国・斗山で投手コーチを務めた。元MLBの大塚晶文、岩隈久志らを育成した手腕は球界では評判。現在は大和高田クラブのアドバイザーを務める。NPB通算71勝62敗30セーブ、防御率4.32。