【久保康生 魔改造の手腕(35)】2013年に復帰した阪神を17年シーズンを最後に離れることになりました。このあたりの経緯は後にお話ししますが、実に心残りでした。

 才木浩人、望月惇志、浜地真澄の長身若手トリオに関しては取り組んでいたことが途中でいきなり途切れてしまって、本当に申し訳ないと思っています。

 調子を崩していた藤浪晋太郎もそうです。すでに一軍戦力として活躍していましたので、接点は少なかったのですが、復活の手伝いをコーチ生命をかけて取り組んでみたかったですね。

 ただ、今の阪神には福原忍、安藤優也という一緒に戦った投手コーチも残ってくれています。受け継いでくれたものを発揮して、指導に生かしてくれるものと信じています。

 福原、安藤は先発ローテとして、セットアッパーとして長年にわたりチームを支えてくれました。チーム事情で役割を何度も変えながら、活躍してくれました。

 福原は晩年、ボールの握りを根本から変えることに取り組みました。グッと深く握るところから、ほんの少し指にかかるくらいの握りへと一気に変えました。握りにも慣れ、球速も若いころのように戻ると「何でずっとこっちでやらんかったんやろ」と笑っていたのを思い出します。

 17年限りで引退となった安藤は進路相談に来てくれました。球団から指導者としてのオファーを受けたなら、素直に受けるべきだと助言させてもらいました。

 指導者としてのご縁というものは、本当にないところにないですから。評論家として外から勉強もいいですが、せっかくのご指名を断ってしまっては、その先にはもう一生ないかもしれない。そこは力説させてもらいました。

 あの年、安藤の一軍登板は最終戦の引退試合のみ。自分で最後のシーズンだと決めていたのだと思います。通常、ベテランが二軍戦の遠征に行くことはないのですが、安藤を筑後でのウエスタン・ソフトバンク戦に連れて行った時がありました。

 大分出身の安藤です。両親や祖父母、親類を招待するので、投げる姿を見せてあげたいと申し出てきたのです。優しい「アンちゃん」らしいですね。

 野球選手として長く活躍してくれた福原、安藤には2人ともに話したことがあります。

 35歳から40歳くらいの期間、現役を経験できれば様々なメリットがあります。若い選手たちにも寄り添えるし、まだ、新しい技術も習得でき試合で発揮することもできる。そして、社会や球団組織の仕組みも分かってきます。コーチの仕組みもです。

 私自身、現役最晩年に近鉄で現役投手でありながら、登録抹消されてもチームに帯同しブルペンを預かる経験をしています。福原に先発から中継ぎへの再転向を命じた時には「立ち上がりの悪い僕が中継ぎですか」と不満を漏らしていましたが、私の経験を伝えて納得してくれました。

 ここからが大事だよ。中継ぎでブルペンを見回しながらゲームを見て、改めて野球を知る。汚れ役でもいいからやってみてほしいと。

 実は最終的にはそういう姿勢を球団は注視しているから。コーチングに適した人格を持ち合わせた人間か、球団に残していく人材かを見極めている。

 福原、安藤は私の話を聞き入れてくれて、その後も球団に貢献し続けてくれています。

 福原は11年から5年連続50試合登板、37歳、38歳のシーズンに最優秀中継ぎ投手となりました。安藤は13年から3年連続50試合登板です。安藤、福原、呉昇桓のリレーが懐かしいですね。2人のベテランを時間をかけて説得したかいがありました。

 ☆くぼ・やすお 1958年4月8日、福岡県生まれ。柳川商高では2年の選抜、3年の夏に甲子園を経験。76年近鉄のドラフト1位でプロ入りした。80年にプロ初勝利を挙げるなど8勝3セーブでリーグ優勝に貢献。82年は自己最多の12勝をマーク。88年途中に阪神へ移籍。96年、近鉄に復帰し97年限りで現役引退。その後は近鉄、阪神、ソフトバンク、韓国・斗山で投手コーチを務めた。元MLBの大塚晶文、岩隈久志らを育成した手腕は球界では評判。現在は大和高田クラブのアドバイザーを務める。NPB通算71勝62敗30セーブ、防御率4.32。