新型コロナウイルス禍はいまだ収まらないが、北京五輪が間近に迫ってきた。そこで昨夏の東京大会で先頭に立って成功に導いた東京五輪・パラリンピック組織委員会の橋本聖子会長(57)を直撃。夏冬7回の出場歴を誇る〝五輪の申し子〟に今大会の注目ポイントを聞いた。だが、競技論を語るうちにアスリートの血が騒ぎだし…。なんと、思わぬ〝野望〟まで飛び出した。

 ――東京五輪は厳しい世論にさらされた

 橋本 コロナ禍前に楽しみにしていた人たちが「中止のほうがいい」という意見になったのは、コロナ対策への不安と不満。だから最初から何としてもお願いしたいとは言えなかったですね。中止は最初から頭になかったけど、選手にスイッチが入った時に私がやるんだって表に示さないと不安になるだろうと思っていました。

 ――北京五輪が直前に迫った今の気持ちは

 橋本 やっぱり一番に思うのは選手の心境ですね。今、どういう精神状態なのか。感染症、政治情勢などいろんなニュースが選手の目に入るけど気にしないで集中してほしいとか。組織委の会長をやっていても、そんなことを考えてしまいます。

 ――3連覇がかかる羽生結弦のすごさは

 橋本 メンタルが強くて、自分を正確に分析できている。そして魂がこもっている。年々、磨きがかかっていますよね。積み重ねた年齢の分だけ表現もすごいし、これまでの練習や演技、乗り越えてきた壁、全てを演技にぶつけているから人の心を動かせるのでしょう。

 ――スピードスケートでは高木美帆が短・中・長距離で5種目に出場する

 橋本 この難しさはやった人じゃないとわからないと思う。どれだけすごいことか。500メートルと3000メートルって(陸上の)100メートルとマラソンくらい違うんです。500が強い選手は1000で持たないし、どっちも完璧に滑れる人は世界でもそんなにいない。彼女はどっちも滑り切れるし、全部でメダルを取れる位置にいる。本当にすごいことですよ。

 ――橋本会長は競輪まで経験

 橋本 やろうと思ったらできるんですよ。ただ、みんなリスクを考えるでしょ。でも、私はリスクだと思わず、相乗効果があると信じてやってきました。でも最後まで周りの人たちは「そんなバカなことを」って感じでしたね。

 ――人生においてリスクはあまり考えないか

 橋本 そうね。リスクは逆に言えばチャンスなので。なんか燃えるっていうか(笑い)。

 ――競技を見てアスリートの血が騒ぐことは

 橋本 しょっちゅうです(笑い)。今も週3、4回のウエートトレーニングをずっと続けています。こういう仕事って脳から疲れるので、筋肉を刺激すると脳がリフレッシュするんです。私が使っているワットバイクという固定式の自転車は実走感がすごい。音楽を聴きながら1時間くらいやっています。

 ――今、氷で滑ったら

 橋本 タイムは出ないと思いますが、普通に滑れると思います。3年前に(長野五輪スピードスケート女子500メートル銅メダルの)岡崎朋美を連れて山形の全日本マスターズに行き、レース前のデモスケーティングをやったんです。私はスピードがそんなに出なくて、岡崎が私のゴールを待ってくれました。それから岡崎は目覚めてトレーニングし、カルガリーの大会で40代の世界記録をつくったんです。次は50代の記録を狙うらしいので、私は60代で世界記録を出そうと思って、ちょっとずつ…(笑い)。

 ――マスターズに橋本聖子が出るのは反則だ

 橋本 そんなことないですよ。やり続けている人にはかなわない。やっぱり滑る機会がないと無理です。私なんか足が細くなって自分で情けないなと思いますし…。でも、年を取ってから自分がやっていたスポーツをできるって面白いですね。

 ――改めて五輪とはどんな存在か

 橋本 私自身、人生のすべてでしょうね。「聖子」という名前を父親がつけなかったら、五輪には縁はなかったと思います。オリパラ大臣も運命かなって思ったら、今度は組織委員会の会長にも…。運命って自分でつくり上げようと思ってもできるものではない。だから素直にその方向にいく生き方なんです。

☆はしもと・せいこ 1964年10月5日生まれ。北海道出身。駒大苫小牧高卒業。冬季五輪は1500メートル銅メダルを獲得した92年アルベールビル大会など4回出場。自転車競技で出場した88年ソウル五輪で日本人初の夏・冬両五輪出場を果たすなど五輪は7度経験した。95年7月に参院選初当選。21年2月に〝女性蔑視発言〟で辞任した森喜朗氏の後を受け、五輪相を辞めて東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長に就任。