【元局アナ青池奈津子のメジャー通信】ドミニカ共和国行きのチケットを取った瞬間、ある人物の顔が思い浮かんだ。

 トニー・ペーニャだ。18年間大リーグで捕手を務めたトニー、ロイヤルズの監督だったトニー、ドミニカ共和国のレジェンドであるトニー。多くの人に夢と希望を与えた偉大な人物…だと今なら分かるのだが、15年前にヤンキースのフィールドで人生で初めて出会ったこのドミニカ人は、私にとっては底抜けの明るさとフレンドリーさを惜しげもなく表現する異次元な存在だった。

「ナッツ…コォ…!」

 球場でトニーに会うと必ず元気な声で名前を呼んでくれ「家族は元気か? すべて順調か?」と聞いてきた。当初は、そのたびになんと答えていいか分からず、戸惑った。

「米国暮らしも野球取材も初めてでいっぱいいっぱい」が正直なところだが、それを伝えるだけの英語力もなければ、ヤンキースのコーチ相手に伝えるようなこととも思えず、強いて言えば、自分のふがいなさを隠すためにできるだけ目立ちたくないのに…。「イエス、サンキュー」と答えるのが精一杯だった。

 それから何年も何年も、見かけたら変わらずに大きな笑顔で迎えてくれたトニー。おかげで私の記憶にあるトニーは笑顔でしかない。

 観察していると、トニーは誰に対してもそうだった。誰かが「トニーはラテン系選手らとメジャーリーグの素晴らしい懸け橋なんだよ」と言っていたのが、すごくよく分かる。

 このやりとりがいかに貴重なものだったかを思い知ったのは、2018年。ヤンキースがエンゼルス戦でロサンゼルスに訪れた際、どこを探してもトニーがいなかった。2017年を境に引退して地元に戻ったのだと聞いた。

 その時になってようやく、いまだに私の名前を知らない人が多くいる現場で、最初からずっと名前を覚えてくれたのはトニーだけだったと気づいた。

 トニーに会いたい。彼だったら突然訪ねても大丈夫、とどこか自信があった。この時はまだ、トニーがドミニカの国宝的存在ということもよく分かっていなかったのも助かった。知っていたら、おじけづいて会おうなどと到底思わないからだ。

 いろいろ調べると、今は出身地モンテ・クリスティから一番近い都市サンティアゴで、以前から経営する飲料水の会社と農業を営んでいることが分かった。方々に掛け合い、なんとか出発前日にたどり着いた連絡先に緊張しながらかけた電話口で、驚きながらも返ってきたトニーの「ナッツ…コォ…!」には、正直涙が出そうだった。

「何、ドミニカ共和国に来る? いつ? 来週? 僕の出身地に行きたい? 分かった。週2、3回は畑のあるモンテ・クリスティに行ってるから、サンティアゴまで来られたら連れていけるよ。本当に来るのかい?」

 話がとんとん拍子に進み、トニーの薦めるサンティアゴのホテルを取った。誤算は、土地勘をつかむのに選んだプンタ・カーナは、島の北西部にあるモンテ・クリスティとは反対の南東部に位置していたこと。地元のバスに揺られること5、6時間。首都サントドミンゴを経由し、高速WiFiがついていることや時間通りに出発するバスに驚きながら、近代的な都市にたどり着いた。

 そして翌朝8時、約束通りトニーが迎えに来てくれた。 =続く=

 ☆トニー・ペーニャ 1957年6月4日生まれ。64歳。ドミニカ共和国モンテ・クリスティ州出身。右投げ右打ちの捕手。80年にパイレーツでメジャーデビュー。実働18年間で1988試合に出場し、1687安打、107本塁打、708打点。現役引退後はロイヤルズの監督、ヤンキースのコーチなどを歴任。第3回、第4回WBCではドミニカ共和国代表監督を務め、第3回大会では母国を世界一に導いた。