東京都知事を13年半務め、タカ派政治家の代表格として知られた元衆院議員で作家の石原慎太郎(いしはら・しんたろう)さんが1日午前、東京・田園調布(大田区)の自宅で死去した。89歳だった。膵臓がんを昨年10月に再発していた。神戸市出身。葬儀・告別式は家族のみで行い、後日お別れの会を開く。石原さんは作家や政治家として一時代を築いたが、意外な功績も残していた。

 昭和世代なら誰でも知っているUMA「ネッシー」。英国・スコットランドのネス湖でたびたび目撃され、“首長竜の生き残り”説もあった。石原さんは衆院議員だった1973年に「国際ネッシー探検隊(ネス湖怪獣国際探検隊)」を結成して、自ら総隊長として現地を調査したのだ。

 同年8月10日に会見を開き、「ネッシーを生け捕りにする」と発表。隊員を募集し、山梨県・本栖湖でスキューバダイビングなどトレーニングを行った。8月末にネス湖に向かい、約2か月間、探索を続けた。石原さんは議員だったため「国会に支障が出ない限り、現地で頑張りたい」として1~2週間のスポット参戦だったが、大きな話題になった。

 オカルト評論家の山口敏太郎氏は「ネッシー探検隊を組織して実際に探検に行ったり、コラムにおいては旅館で友人たちと幽霊を目撃した話を記述したりしているんです。単純に好奇心がおもむくままに、突き進んだ立派な作家・政治家であったと言えるでしょう」と指摘する。

 億単位の経費がかかる上に、ネス湖に高圧電流を流して生け捕りを試みるなど、過激なやり方にはネッシーを神聖視する現地で批判の声が上がった。結果、巨大ウナギを捕獲しただけだったとされる。

 ちなみにネッシー関連で最も有名な写真は34年の「外科医の写真」だ。湖面から長い首のようなものが出ているあの写真だ。石原さんの探索から約20年後の94年、撮影者が「潜水艦のおもちゃに首をつけた模型」だと暴露。これには石原さんもがっかりしただろう。

 しかし、石原さんの行動のおかげで日本でもネッシーブームが起こり、さらには鹿児島県・池田湖のイッシー、北海道・屈斜路湖のクッシーなど日本の“固有種”のUMAも注目された。それらは町おこしになり、各地が観光で潤った。

「オカルトが好きな人物は国のことを思う国士である場合が多いんです。国を憂う気持ちは、不思議を愛する気持ちと通じ合うのかもしれませんね」と山口氏。

 UMAだけではない。UFOにものめり込んだという。

 UFO研究家の竹本良氏は「1955年、三島由紀夫さんと一緒に日本初のUFO研究団体である『日本空飛ぶ円盤研究会』の会員になったんです。この研究会があったからこそ、日本はその後、UFOブームが起きました」と語る。

 UFOへの思いは長く続いたようだ。2007年の都知事時代、会見で「私もUFOを見たい。でも、地球には飛んで来ないでしょう。(スティーブン)ホーキング博士の講演を聴くと、地球並みの文明を持つ惑星は宇宙全体に200万あるが、高度な文明を持つと非常に循環が狂って不安定になって、みんなダメになっちゃうんだ」という趣旨の話をしていた。宇宙船を建設できる地球外知的生命体は遠くの星に存在しているだろうが、地球にやって来る前に自滅するという意味だ。

 竹本氏は「石原さんはUFO研究会会員でネッシー探検隊隊長だったんです。小物政治家が目立つ世の中で、UFOやネッシーを語れる大物がいなくなるのはあまりに寂しい」と言う。

 石原さんの関係者によると、弔問は断っているとのことだが、盟友でもあった亀井静香氏が1日、弔問に訪れた。

 亀井氏は「現代の知の巨人だ。真っすぐで純粋。『太陽の季節』そのものだ。寂しいねえ、寂しいねえ」と悲しんだ。まさにその通りの人柄だった。