芥川賞作家の西村賢太さんが5日に54歳の若さで急死し、衝撃が広がっている。無頼派作家といわれた西村さんは何の因果か、今月1日に亡くなった石原慎太郎さん(享年89)や昨年8月に亡くなった高橋三千綱さん(享年73)ら、敬愛した芥川賞作家の先輩の後を追うように突然、逝ってしまった。

 西村さんは4日夜、東京・赤羽からタクシーに乗車し、その車中で意識を失った。病院に運ばれたものの、そのまま帰らぬ人となった。死因はまだ分かっていない。

 破滅型の私小説で知られる西村さんは東京・江戸川区生まれ。裕福な家庭で育ったが、転機となったのは小学5年時に父親が事件を起こし、両親が離婚したことだ。母子家庭で、中学卒業後はアルバイトに明け暮れ、家賃滞納を続けたり、訴訟ざたにもなりかけた貧乏生活などが、そのまま作品の題材となった。

 2004年に文壇デビューし、07年に「暗渠の宿」で野間文芸新人賞を受賞。酒をこよなく愛した西村さんの生活は、昼に起床し、夕方から朝まで酒を飲みながら、執筆するスタイル。毎日、宝焼酎「純」のボトル(720ミリリットル)を1本空け、外に飲みに出た際には泥酔し、路上で寝込んでしまうこともしばしば。デビュー前には酒に酔って、人を殴り、留置場へ入った過去も赤裸々に明かしている。

 一躍、脚光を浴びたのは11年に「苦役列車」で芥川賞を受賞した時の発言だ。型破りなキャラクターが世に衝撃を与え、人気作家の仲間入りを果たした。

 西村さんの人間くささ満点の作風を買っていたのが当時、芥川賞の選考委員を務めた石原慎太郎さんだった。選評で「この豊穣な甘えた時代にあって、彼の反逆的な一種のピカレスクは極めて新鮮」と絶賛。西村さんは石原さんと交流を重ね、1日に死去した際には読売新聞に寄せた追悼文で「訃報に接し、虚脱の状態に陥っている」「小説家としての氏への敬意も変ずることはなかった」などとショックを受けたことを明かしていた。

 芥川賞作家との交流は慎太郎さんだけではない。本紙の企画で、芥川賞の受賞後、本紙OBの高橋三千綱さんと対談した。高橋さんも芥川賞受賞時にジーンズにゲタ履き姿で受賞会見に現れ、バンカラ、無頼派で知られた異色作家で、西村さんは「スター作家で憧れていた」と2人は世代を超え、すぐさま意気投合。取材場所は料理店から2次会でもつ焼き屋に場を移し、夜遅くまでハシゴ酒で盛り上がったものだった。

 昨年、高橋さんは鬼籍に入ったが先月、遺稿「枳殻(からたち)家の末娘」が刊行された。西村さんは「かような作品が没後に再び陽の目を見ること自体を、一読者として大いに喜びたい」と寄せていたばかりでもあった。

 また、西村さんは大正時代に活動した作家・藤沢清造さんに心酔し、“押しかけ没後弟子”を自称し、小説集の出版に奔走していた。藤沢さんは売れっ子作家になりかけたが、私生活でトラブルが続き、42歳の時に東京・芝公園で凍死し、一時は身元不明扱いされる非業の死を遂げた。

 西村さんは藤沢さんの孤独かつ壮絶な生きざまに自身を重ねるかのように傾倒し、命日には石川・七尾市への墓参りは欠かさず、生前墓を藤沢さんの隣に立てていたほど。没後90年となる先月末にも同所を訪れていた矢先の急死だった。

 他に類を見ない超個性派の西村さんの突然の死去で、日本文学界が失ったものは大きい。今ごろ、高橋さんや石原さんらから「来るのが早過ぎるよ」と怒られながらも大好きな酒を酌み交わしているのかもしれない。