【久保康生 魔改造の手腕(40)】2017年秋季キャンプから始まり、18年から20年までソフトバンクでお世話になりました。ここでも多くの若い才能に出会いました。

 故障から復活を遂げてくれた岩崎翔の存在も印象的でした。彼は17年、ともに球団記録の72試合登板、46ホールドポイントで最優秀中継ぎ投手となり、すでに実績がありました。

 ただ、その後は2度の右ヒジ手術もあり不振。成績を残している自負もあるはずだと考慮し、すぐには手をつけず、相当に行き詰まっているなと感じたときに声をかけさせてもらいました。軸足に力をためようと、ヒザを折って沈み込む悪癖が出ていたのです。

 本人は右ヒザを折り、グッと踏ん張っているつもりなんですが、プレート上で過度にヒザを折り、力をその場でため込もうとすると、次の動作に移る際、右腰が過度に下がり左サイドが早く開きたがることになります。結果、打者からボールが見やすい状況に陥りやすいんです。でも、実際はせっかく上から下におろしていくはずのパワーを逃がしている。そこを修正し、上からボールを叩くイメージを徹底しました。本人は「不思議ですよね。今までやってきたことと真逆。ぜんぜん、思考回路が違います」と話していましたが、そうした既成概念を克服した時に結果が出ました。

 20年、終盤の10月には一軍で7試合連続無失点と復活。ポストシーズン3試合で無失点と、チームの4連覇に貢献しました。21年も48試合で2勝14ホールド6セーブと復調軌道となってきました。

 22年からは又吉のFA移籍による人的補償で中日に加入しました。今後の活躍が楽しみです。

 アンダーハンドの高橋礼を指導したときには、先輩の力も借りました。通算284勝を誇り、史上最高のサブマリンと称される山田久志さん。電話で「アンダーハンドの投手は軸足を折って投げるモノですか?」と質問すると「軸足は突っ張ったままで前に着地しにいく。着地する左足の角度は90度に保つんだよ」と明確な返答をいただきました。高橋礼にも電話でアドバイスをいただき、そのかいもあり19年には先発で12勝とブレーク。侍ジャパンにも選出されました。20年には中継ぎで52試合4勝23ホールドと躍進しました。

 板東湧梧(18年ドラフト4位)も面白い事例でした。若いころの能見篤史じゃないですが、きれいすぎるフォームだったんです。威圧感もなく打者に対応されてしまう。そこである日、重心をグッと上げるため、野茂英雄のようにトルネードにしてみたらと提案しました。二塁側に全部持っていって、そこから一気にホーム側に力を出してみては。すると見事にハマってボールが強くなりました。

 たまたま次の日です。ペイペイドームで一軍のシート打撃を行うので、二軍から投手を派遣してくれと連絡があり、そこで指名されたのが板東でした。きれいなフォーム、球筋で練習にうってつけというわけです。褒めているようで失礼な話です。 リクエストで板東の出番だ。少し迷いましたが、どっちみち評価されていないんだから、思い切って、取り組んだトルネードで投げてこいと送り出しました。結果は「150キロ出ました」とニッコリ笑顔。これで一軍首脳陣の目に留まったかもしれないぞ。そう話していたら後日、一軍昇格の吉報が届きました。そこから20、21年と戦力として一軍で活躍してくれています。

 次回はホークスつながりで、元2億円プレーヤーについてお話しさせていただこうと思います。

 ☆くぼ・やすお 1958年4月8日、福岡県生まれ。柳川商高では2年の選抜、3年の夏に甲子園を経験。76年近鉄のドラフト1位でプロ入りした。80年にプロ初勝利を挙げるなど8勝3セーブでリーグ優勝に貢献。82年は自己最多の12勝をマーク。88年途中に阪神へ移籍。96年、近鉄に復帰し97年限りで現役引退。その後は近鉄、阪神、ソフトバンク、韓国・斗山で投手コーチを務めた。元MLBの大塚晶文、岩隈久志らを育成した手腕は球界では評判。現在は大和高田クラブのアドバイザーを務める。NPB通算71勝62敗30セーブ、防御率4.32。