【久保康生 魔改造の手腕(42)】プロ野球史に名を残すレジェンドとの対戦。真剣勝負は私の中で非常に大切な思い出です。ロッテ、中日、巨人、日本ハムの4球団で20年にわたってプレー。球史で唯一の3度の3冠王を誇る落合博満さんとの対決は、印象に残っています。

 最初のころはずいぶんと打たれました。近鉄の投手とロッテの打者として何度も対戦しました。ですが、落合さんが初めての3冠王を取った1982年、私は打率1割7分6厘、1本塁打と抑え込んでいるんです。

 偶然ではありません。そこには原因がありました。落合さんは感覚がとても鋭い打者です。私はある方から「落合は相手投手の目を見て打っている」との情報を得ました。投球直前に無意識に投げるコースに向ける視線から、投球軌道を読んでいたのでしょう。

 それを聞いた私はある行動に出ます。リリースする直前に落合さんの目を見るという作戦です。もちろん、落合さんの顔を目がけて投げるつもりなどなかったです。それでも一瞬、ハッとなるでしょう。落合さんの感覚の鋭さを逆に利用したわけです。

 88年にこんなことがありました。巨人戦で当時主力のクロマティに死球を与えてしまった後のことです。セ・リーグですからその後、私にも打席が回ってきますよね。

 その時、マウンドにいたのはガリクソンです。もうモロに分かりました。絶対に当てにくる。そういう感じが出ていました。顔、目、動作を見れば人間の五感が働いて危険を察知します。

 思った通り投球は私の頭を目がけて飛んできました。予測していましたので簡単に避けることができましたが…。外国人助っ人同士の絆であるとか、主力にぶつけるなら黙っちゃいないぞという雰囲気を体感した瞬間でした。

 こういった感覚は落合さんほどになれば相当、鋭いはずです。経験に裏打ちされた余裕があるから、相手をよく見ているんです。だからこそ、私が落合さんの目を見て投げる作戦ははまったのだと思います。

 ただ、95年4月15日には落合さんに2000安打目を献上しています。それも、東京ドーム左中間への見事な本塁打でした。追い込んでからスライダーを2球ファウルされた後、少し抜いてやろうと思ったスライダーを捉えられました。積み上げてきた技術の結晶ですね。緩いボールをうまく運ばれました。

 現役最後のシーズン、97年には落合さんにごあいさつに行かせてもらいました。私は近鉄、落合さんは日本ハムのユニホームです。東京ドームで引退する旨を伝えに行くと「おお、辞めるのか」と言って、ロッカーからサインを書いたバットを持ってきてプレゼントしてくれました。

 もともと、そんなにお話をするというわけでもありません。どちらかというと、ほぼ話したことはなかったはずです。相手チームの主力打者なわけですから、いわば敵です。でも、通じるものがあったのだと思います。

 今でこそ侍ジャパンの合宿などで長期間にわたって他球団の選手と交流する機会が増えました。しかし、我々の時代は交流戦もなかったですから。自主トレにしても巨人と阪神の主力が一緒なんて考えられなかったですからね。

 昭和の終わりから平成、令和と時代は移り変わりました。昔はもっと乱闘も多かったですよね。チーム同士で渡り合う。ユニホームを着ると戦うスイッチが入るという時代でした。18・44メートルを隔てて歴史に残る大打者・落合さんと心を通わせられたなら、こんな光栄なことはないですね。

 ☆くぼ・やすお 1958年4月8日、福岡県生まれ。柳川商高では2年の選抜、3年の夏に甲子園を経験。76年近鉄のドラフト1位でプロ入りした。80年にプロ初勝利を挙げるなど8勝3セーブでリーグ優勝に貢献。82年は自己最多の12勝をマーク。88年途中に阪神へ移籍。96年、近鉄に復帰し97年限りで現役引退。その後は近鉄、阪神、ソフトバンク、韓国・斗山で投手コーチを務めた。元MLBの大塚晶文、岩隈久志らを育成した手腕は球界では評判。現在は大和高田クラブのアドバイザーを務める。NPB通算71勝62敗30セーブ、防御率4.32。