【長嶋清幸 ゼロの勝負師(8)】 野球の怖さを思い知らされた。1986年の西武との日本シリーズは、広島の3勝1敗1分けで第6戦から地元広島に移った。3連勝しながら第5戦で投手の工藤公康にサヨナラ打を浴びて1敗。「風向きがおかしい」と感じながらも、もちろん「まだいける」「あと1勝さえすれば」っていう気持ちもあって…。それが点を取ってもすぐ取られ、いくらもがいても西武に歯が立たない。

 第6戦は渡辺久信から俺にソロが出たけど、工藤とのリレーにしてやられた。第7戦も一発が出たのに松沼博久さん、郭泰源に攻略され、あっという間に3勝3敗1分けのタイ。地元に帰っても流れを引き戻すことができない。

 やはりターニングポイントは第5戦の9回、同点の場面での阿南準郎監督の采配だったと思う。浩二さんに引退の花道をつくってあげたい思いから監督は二走の浩二さんに代走を送らなかった。俺らもみんな同じ思いだった。でも結局、衣笠祥雄さんのヒットで浩二さんは生還できず、延長12回の末にサヨナラ負け。流れというのは怖い。その試合だけでなく、短期決戦だとその後の試合にも影響して取り返しがつかなくなる。

 あそこで本塁までいけていたら…でも代えられないよなあっていう、どうしようもない状況だったと思う。話が飛ぶんだけど、後年、2007年の中日と日本ハムの日本シリーズでも似たようなことを感じた。第5戦で中日の落合博満監督は8回まで1人の走者も出していない山井大介を降板させ、1点を守る9回に守護神の岩瀬仁紀を送った。日本シリーズ初の完全試合を目前にしながらの“非情采配”に批判もあったし、代えてほしくないと思った。でもあそこで代えて日本一になったんだから、あれで正解だったんですよ。代えられなかったら日本一がなかったかもしれない。

 広島は3連勝後、まさかの3連敗で逆王手をかけられ、日本シリーズ初の第8戦に突入。2点リードの6回には秋山幸二に同点2ランを打たれ、“バック宙ホームイン”までやられてしまった。もうこっちも引っ繰り返っているよ。2―3で逆転負けし、屈辱の4連敗で西武の胴上げを見せられた。俺が最後の打者になってしまった。浩二さんに有終の美を飾らせてあげられず、申し訳なかったね。

 西武の胴上げが終わった後、俺たちで浩二さんを胴上げした。浩二さんの胴上げはリーグ優勝に続いて2度目。実はシーズン優勝の時、俺も胴上げしてもらったんだよ。浩二さんの他にやめる選手を何人か挟んで俺が胴上げされて「俺はまだ引退じゃねーよー」って。頑張ったことを認めてくれたのかな。ありがたかったねえ。あの年のシーズン、シリーズは本当にいい勉強をさせてもらった。

 次回からは俺のカープ若手時代のことを話しましょう。

 ☆ ながしま・きよゆき 1961年11月12日、静岡県浜岡町(現御前崎市)出身。静岡県自動車工業高から79年ドラフト外で広島入団。83年に背番号0をつけて外野のレギュラーに定着し、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。84年9月15、16日の巨人戦では2戦連続のサヨナラ本塁打を放って優勝に貢献し、阪急との日本シリーズでは3本塁打、10打点の活躍でMVPに輝く。91年に中日にトレード移籍。93年にロッテ、94年から阪神でプレーし、97年に引退。その後は阪神、中日、三星(韓国)、ロッテでコーチを続けた。2020年に愛知のカレー店「元祖台湾カレー」のオーナーとなる。