【長嶋清幸 ゼロの勝負師(14)】カープといえば地獄の練習で有名だった。12球団一の厳しさで「胃から汗が出る」って言われるくらいコーチ陣のノックがすさまじかった。これも古葉竹識監督の意向だったと思うし、それにコーチが応える形で行われていた。

 1980年代のキャンプは、まあ、すごかったよ。全体練習の前に2時間のウオーミングアップは当たり前。午前中でヘトヘトになって昼飯が喉を通らない。しんどくて牛乳しか飲めないから、プロテインを入れて飲んだからまずくてゲロ吐いた。どうしようか、というくらい毎日がきつかった。アップってその後の練習のために体をほぐすものなのに、カープはそこから鍛錬。ランニングは連帯歩調で30分ずっと走りっぱなし、終わったら逆回りを30分。それで1時間。次はダッシュを100メートル、70メートル、50メートル、30メートル、15メートルとガンガン続け、それをコーチが選手ごとに走力を分かって見ているから選手も手を抜けない。ちょっとでも抜いたら終わらない。

 腹筋、背筋をこなして終わったら2時間半。今のキャンプのアップなら30~40分くらいでしょ。次にベースランニングが始まって、少しでもベースの踏み方の角度が悪かったり、スピードに乗っていなかったらエンドレスで続く。やっと終わって昼食なんだけど、まだボールを握っていないわけよ。

 午後はキャッチボールから始まってシートノック。これも外野手が全部ストライク返球を捕手や中継に投げないと終わらなくて、誰か1本でも悪送球したらやり直しが延々と続く。それが終わると、ようやくバッティング。1か所15分ずつを5か所で続けるから1時間15分。これも今なら20分くらいでしょう。その後は特打になるんだけど、俺はいつも特守。そこからが地獄だった。

 寺岡孝外野守備コーチが「はいー、捕り300!」。捕球を300球ということは500球以上打たれる。これも捕れないとずっと終わらない。外野に俺1人でマンツーマン。特打のボールが飛んできて当たっても関係ない。最初の40分くらいが地獄で、そこからなぜか軽くなってくる。その時、人間の体のすごさを知ったよね。「もう心臓が爆発するぞっ」と思うくらいから脳から何か分泌されるのか分からないけど、250球くらい捕ると、フワ~って楽になる。その時に寺岡コーチに「やっと動いてきたなあ」と言われる。

 難しいところばかり打ってくるし、たまにファインプレーすると「今のはよう捕った。3つ減るぞ~」とサービスがある代わりに、ヘタをすると「3つ足し~」となる。ある日、捕れないところばかりに来るから、限界を越えてグラブを叩きつけ、寺岡さんに詰め寄った。そうしたらノックバットで殴られて鼻血が出た…。それでも耐え、ノックは続いた。どっちも必死、ガチンコの真剣勝負。ヘタだった守備がそれで成長していった。

 ☆ながしま・きよゆき 1961年11月12日、静岡県浜岡町(現御前崎市)出身。静岡県自動車工業高から79年ドラフト外で広島入団。83年に背番号0をつけて外野のレギュラーに定着し、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。84年9月15、16日の巨人戦では2戦連続のサヨナラ本塁打を放って優勝に貢献し、阪急との日本シリーズでは3本塁打、10打点の活躍でMVPに輝く。91年に中日にトレード移籍。93年にロッテ、94年から阪神でプレーし、97年に引退。その後は阪神、中日、三星(韓国)、ロッテでコーチを続けた。2020年に愛知のカレー店「元祖台湾カレー」のオーナーとなる。