今公開中の劇映画「親密な他人」の中村真夕監督とは、これまで2本のドキュメンタリーを一緒に製作している。「愛国者に気をつけろ!鈴木邦男」と「ナオト、いまもひとりっきり」だ。

 中村監督が何年もかけて追ってきたテーマで、どちらの作品も一人の人間に焦点を当て、文字通り親密な関係を築きながら、自らカメラを回したドキュメンタリーだ。

 鈴木邦男さんのドキュメンタリーについては語ることが多すぎて、とても1回では書き切れないほどだ。鈴木さんは生粋の行動派右翼で、1969年、早稲田大学院生の時、民族派学生組織を立ち上げた人だ。この組織は現在の日本会議の前身にあたる。

 また1970年、三島由紀夫が自衛隊市ケ谷駐屯地で自決した時、三島を介錯し、自らも自決した「楯の会」の森田必勝を、民族派組織に勧誘したのが鈴木さんだった。1972年には「一水会」を設立し、三島・森田の慰霊祭を始めている。森田を一人で逝かせたことに、悔恨の想いを持っていたのだ。

 その後、「腹腹時計と<狼>」を出版、東アジア反日武装戦線「狼」を評価したことで「新右翼」と呼ばれるようになった。

 映画の中では、その鈴木さんを慕う様々な人たちが、思想信条の違いを超えて、インタビューに答えている。その中から浮かび上がる鈴木邦男という人の姿は、分け隔てなく人と接し、何事も自分の目で確かめて判断するという、誠実に独りで生きる人の姿だ。そこには、イデオロギーとしての右翼ではなく、真の民主主義者の顔がある。出会った誰からも愛される所以だ。

「批判精神と批判される精神の、両方が大事。(アジアの国々から)日本が批判されるようなこともあったんだと、(過去を)認めたうえで、それでもなおかつ日本は好きなんだと、抱きしめるのが、本当の愛国心だと思う」映画の中で語った鈴木さんの言葉だ。

 コロナのこともあり、今鈴木さんと会うことはなかなか叶わない。1943年の生まれだから、今年8月で79歳だ。この原稿を書きながら、もう一度映画を観たくなった。いや正確には、鈴木邦男さんに会いたくなった。

 ☆やまがみ・てつじろう 1954年、熊本県生まれ。86年「シグロ」を設立、代表就任。以来80本以上の劇映画、ドキュメンタリー映画を製作・配給。「絵の中のぼくの村」(96年)でベルリン国際映画祭銀熊賞受賞をはじめ、国内外の映画賞を多数受賞。主な作品に石原さとみ映画デビュー作「わたしのグランパ」(2003年)、「老人と海」「ハッシュ!」「松ヶ根乱射事件」「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」「沖縄 うりずんの雨」「だれかの木琴」「明日をへぐる」など。最新作「親密な他人」が公開中。