【今週の秘蔵フォト】太田裕美、最大のヒット曲「木綿のハンカチーフ」(1975年)は歌謡曲史上でも屈指の名曲とされる。シティポップ再ブームの現在でも、高い評価を得ている。作曲は筒美京平、作詞は日本ロック界の礎を築いたはっぴいえんどのドラマー兼作詞家・松本隆。松本はこの曲の大ヒットをきっかけに作詞家としての地位を確立し、やがて大御所となっていく。

 本来なら複雑な歌詞を分かりやすく明快にした構成の完成度は、今聴いてもまったく色あせない。74年に「雨だれ」でデビューした太田はピアノの弾き語りが主で、歌謡曲と呼ぶにはやや違和感があった。「木綿のハンカチーフ」の後のシングル「赤いハイヒール」をリリースした直後の76年6月27日付本紙でインタビューに応じている。当時21歳。まさに人気絶頂期だった。

「(変わった点は)忙しくて忙しくて好きな映画もあまり見られなくなったし、プライベートタイムがゼロ。朝は8時か9時に起きて、大体夜の11時まで。遅い時は午前3時まで。あと電車に乗っても1年前にはなんてことなかったのに今ではワアワア騒がれて。なるべく目立たないようにしてます」「(変わらない点は)食べ物も洋服の好みもずっと同じ。Gパンから女らしい格好まで…。わりと地味なデザインが多いです」とあっけらかんと語る。

 さらには「大勢の人に聴いてもらってうれしいと思う。でも人気歌手という言い方は、何か感覚的に好きじゃないんです」とアーティスト志向ものぞかせる。さらには「少女から女になるところなんです。素敵だなあと思うのは岸田今日子さん。雰囲気があって最高ですね」とドキリとする言葉も口をついた。

 そんな姿勢に共感したのか作者陣も大物が続いた。吉田拓郎、宇崎竜童&阿木燿子、伊勢正三…極めつきは元はっぴいえんどの大御所・大瀧詠一&松本隆の80年「さらばシベリア鉄道」、翌年の「恋のハーフムーン」だろう。太田には超一流アーティストを引きつける不思議な磁力と魅力があったのかもしれない。

 2019年には乳がん治療中を告白するも、5月にはイルカとのジョイントコンサートも予定するなど、現在でも元気にステージに立っている。