ベテラン俳優の宝田明さんが亡くなりました。87歳でした。映画「ゴジラ」など特撮映画にも数多く出演した映画スターでしたが、舞台でもミュージカル草創期から活躍したミュージカル俳優でもありました。

「世の中にたえて桜のなかりせば」の完成披露舞台あいさつで登壇し、カメラに向かって手を振る宝田明(2022年3月10日)
「世の中にたえて桜のなかりせば」の完成披露舞台あいさつで登壇し、カメラに向かって手を振る宝田明(2022年3月10日)

日本で初めての本格的ミュージカル「マイ・フェア・レディ」が上演されたのは1963年ですが、宝田さんは翌64年に「アニーよ銃をとれ」、68年「サウンド・オブ・ミュージック」、70年「マイ・フェア・レディ」と大劇場でのミュージカル公演に出演しました。その一方で、71年から主演したのが「ファンタスティック」でした。渋谷にあった定員150人ほどの小劇場「ジァン・ジァン」で、物語の進行役である流れ者エル・ガヨを演じました。ニューヨークで見て、作品にほれ込んだ宝田さんは、これが小劇場初出演でした。その後、何度も再演され、2012年に77歳で久々に上演した時には制作・演出も兼ねました。その舞台で文化庁芸術祭大賞を受賞し、知らせを聞いた宝田さんは「腰が抜けるほど驚いた。長年の努力が報われた」と涙を流して喜んだそうです。

97年7月、ミュージカル「ドリームエンジェル」特別鑑賞会での宝田明さん(右)と天本英世さん(1997年7月)
97年7月、ミュージカル「ドリームエンジェル」特別鑑賞会での宝田明さん(右)と天本英世さん(1997年7月)
映画「ダンスウィズミー」で55年ぶりのミュージカルシーンに挑戦した宝田明(中央)は、三吉彩花(左)、やしろ優とポーズを決める(2018年10月)
映画「ダンスウィズミー」で55年ぶりのミュージカルシーンに挑戦した宝田明(中央)は、三吉彩花(左)、やしろ優とポーズを決める(2018年10月)

そして、1980年にはミュージカル俳優養成学校「宝田芸術学園」を創設しました。「キャッツ」「レ・ミゼラブル」などがロングラン上演される前のことで、まだミュージカル人口が多くなかった時代に、「これからミュージカルの時代が来る」と私財を投じて立ち上げました。開校の時に取材しましたが、宝田さんの人脈を生かして一流の講師陣が顔を並べました。しかし、素人による学校経営が難しく、わずか3年後に閉校を余儀なくされました。ただ、卒業生には今もミュージカル界で活躍している人がおり、宝田さんの優しく明るい人柄もあって、数年おきに同窓会を行っていたそうです。 

70年に及ぶ俳優生活で貫き通した信条は「夢を持ち続けること」でした。晩年まで一線で活動し、87歳で映画主演を果たした宝田さん。エル・ガヨがラストで言う台詞を思い出します。「素敵な拍手、ありがとう」。今、心からの拍手を送りたいと思います。【林尚之】