今年でデビュー50周年を迎える海援隊が、武田鉄矢(72)のレギュラー番組、BSテレ東「武田鉄矢の昭和は輝いていた」(金曜午後8時)にそろって出演する。このほどメンバーが日刊スポーツなどの取材に応じ、50周年への思いやこれからについて語った。

同番組も放送10年目突入の節目。武田が作詞、千葉和臣(70)が作曲し、TBS系ドラマ「3年B組金八先生」主題歌にもなった79年の代表曲「贈る言葉」に、知られざるもうひとつのメロディーがあった秘話が語られる。また、解散から12年後の再結成に至った経緯、グループの歩みや、今だから話せる「本音」など、あらためて3人が集結して振り返る。

武田は「波瀾(はらん)万丈で、『よくぞここまできたな』っていう感じです」。中牟田俊男(72)は「あまり意識したこともないし、50年という月日は、僕は数えたことがない。でもこれから1年、2年とやっていければそこで初めて50年という意味がわかる気がします」。千葉は「この3人だったから、50年やってこれたと思うんです」と力強く話した。

50年の間で起こった、一番印象に残っているエピソードについて、武田は「明日コンサートだけれども、お客さんの入りが悪そうだっていう地方に行ったその前夜、明日待っているであろう不幸にめげず、3人でゲラゲラ笑いながら飯食っていたっていうのが一番大きい思い出」と笑い、懐かしんだ。

中牟田は、「この50年という間に、武田鉄矢と千葉和臣、この2人に出会えたこと。この2人に勝つ者はないな、ってあらためて思っています」と話した。自身が約6年前に食道がんの手術をしたことを振り返り、「その3カ月後にすぐに舞台に立ったんですけど、そのとき、2人がサポートしてくれた。『仕事がある』『舞台に立つことが出来る』っていう。で、これを支えてくれる2人がいる、っていう。これが1番の元気のもとになった。それがなかったら、今、こうしてここにいることはなかった気がします」と、武田と千葉へ感謝した。

千葉はグループの強みを「似たグループがいない、っていうのと、メンバー1人も欠けずにオリジナルで50年やってるというのがすごく自慢」と胸を張った。

昭和、平成と駆け抜けてきた海援隊。3人ともに70代となった令和時代の今後の活動について、武田は「我々はもうあと10年続くグループじゃないかもしれません、体力的に」と話した上で「スパートとして、僕たち三人は使命として、『生きていてよかった』とか、『いい生き方ができた』という曲を作ろうと、目指していきたいなと思っております」と覚悟をにじませた。

番組は「放送10年目突入特番!カメさんのそこが知りたい!海援隊50年」と題して4月1日と翌週の8日に2週連続で放送される。【三須佳夏】

◆海援隊 ボーカル武田、リズムギター中牟田、リードギター千葉の3人で福岡から上京し、72年デビュー。グループ名は武田が大ファンの坂本龍馬が幕末に結成した団体名が由来。74年に「母に捧げるバラード」でNHK紅白歌合戦に出場。ヒット曲は他に「人として」「思えば遠くへ来たもんだ」など。82年に1度解散後、94年に再結成した後は「スタートライン」などを発表。