【長嶋清幸 ゼロの勝負師(35)】中日コーチ時代は3年間で2度もリーグ優勝させてもらい、いい勉強ができた。ただ…俺が落合博満監督から信頼されていたことで煙たがるコーチもいて、3年目くらいから変な空気を感じ始めていた。選手まで「あの人がこんなこと言っていましたよ」なんて言ってきたり…。そんなことが蓄積し、中日最後となった2006年オフに俺は怒りの“退団会見”を開く流れになっていった。

 その年には落合さんの「バッグ盗難事件」があった。シーズン中の9月20日、横浜スタジアムで落合さんの大切なバッグが試合中に監督室から消えた。奥さんからプレゼントされたカバンで、現金や時計、お守り、噂ではクビになる選手のリストも入っていたとか。俺なんか、監督室のあるロッカーに入ったことがないんだからまったく関係ない。俺と石嶺和彦コーチは手前の選手ロッカーに荷物を置いて着替え、向こう側は監督、高代延博コーチ、森繁和コーチとか何人かが使っていた。監督室もコーチ室も開いていて自由に行き来できるけど、狭いから俺は使わなかったんだ。

 試合中に監督付広報のバッグに入れておいたらそれが消えたということだった。絶対に白黒つけるというんで、あそこにいた人はみんな指紋を採られたらしい。俺はそっちに入ってないから指紋は採られなかった。それより森さんなんか自分のバッグに現金150万円くらい入っていたのに、そのままだったというんだから…不思議だよね。

 マスコミが騒いでもそんなに気にしなかったんだけど、東スポに「俺は取ってない!」みたいな記事が出た。なんであんな記事が出るのか不思議でしょうがなかったよ。この世界にいたら手クセの悪いのも見てきたし、そんなの絶対に嫌だし、周りをそういう目で見たくないし、見られたくもない。

 そのころから他のコーチの俺に対する態度がコロコロと変わったりしていて、何かあるんかな、とは思っていた。気にしたってしょうがないし、俺らはどうしたら勝てるかを考えなきゃいけないのに、誰につくとか、人のことを考えながら野球するのは愚の骨頂。バッグのことと結びつけている人もいたかもしれないけど、まったく関係ないね。

 そして日本ハムとの日本シリーズ終了後、球団から契約しないことを伝えられた。俺は落合さんに電話して「自分の何がいけなかったのか、今後のために聞かせてくれませんか」と聞いた。そうしたら「マメ、すまん。それは言えない。墓場まで持っていかないといけない」と。どういうこと? 納得がいかないので「指導のやり方ですか」と聞いたら「そんなことじゃない。お前には本当に感謝してる」と…。

 なんやねんという話だけど、球団もフタをするどころか「それを会見で言ってほしい」って俺に言うんだから。球団側も落合さんのこと、煙たかったのかなあ。

 ☆ながしま・きよゆき 1961年11月12日、静岡県浜岡町(現御前崎市)出身。静岡県自動車工業高から79年ドラフト外で広島入団。83年に背番号0をつけて外野のレギュラーに定着し、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。84年9月15、16日の巨人戦では2戦連続のサヨナラ本塁打を放って優勝に貢献し、阪急との日本シリーズでは3本塁打、10打点の活躍でMVPに輝く。91年に中日にトレード移籍。93年にロッテ、94年から阪神でプレーし、97年に引退。その後は阪神、中日、三星(韓国)、ロッテでコーチを続けた。2020年に愛知のカレー店「元祖台湾カレー」のオーナーとなる。