演歌歌手北山たけし(48)の父・渡邊豊さんが先月20日に亡くなったと21日、所属事務所が発表した。75歳。病気で療養中だった。通夜と葬儀告別式は家族葬で行った。

北山は2005年(平17)、父について日刊スポーツの取材に応えている。

「とにかく怖い父でした。プロの歌手を目指していたのですが、2人の子供を抱えて生活のために断念。その夢を息子の僕に託したんです」。北山は友達と遊ぶことを許されず、4歳のころから連日、時には竹刀でたたかれながら発声練習に明け暮れたという。泣きながら寝てしまうこともあった。

8歳のころ。初めて教えてもらった曲が、父親のあこがれていた北島三郎の「風雪ながれ旅」だった。いつしか同じ夢を追い、16歳で北島に弟子入り志願するが断られ、5年後に再び門をたたき許された。この時に「父は『今日からは北島先生が父親だ』って言いながら、泣いて喜んでくれました」。

それからデビューまでの8年間。父親から連絡がきたのは、母・正子さんの危とくの時だけ。「臨終には間に合いませんでしたが、死に顔がとても安らかで、安心しました」。竹刀でたたかれたとき、体を張ってかばった優しい母親だった。

「片道切符」でデビューした04年4月21日は正子さんの命日。「この曲が天国の母に届くようにと思いながら、ずっと頑張ってきました。これからも同じ気持ちで歌っていきます。できれば『大ヒット』というおみやげを付けたいですね」。

この時、豊さんは58歳。竹刀を「北山たけし」の名前入りジャンパーに換え、息子を一生懸命応援していた。「宣伝のため、電車の中でも着ているんですよ。僕と二人三脚なんです」。親子とも、好きな言葉は「我慢」だと話していた。