16日に老衰のため85歳で亡くなった俳優柳生博さんの次男、柳生宗助氏が22日、父がオーナーを務めた山梨・北杜市のレストラン「八ケ岳倶楽部」で取材に応じ、最期の様子を明かした。

宗助氏は16日の朝、宗助氏の夫人とともに、みとったという。「スポーツが好きで、『大谷なかなか調子でないね』と普通の会話を最近までしていました。だんだん反応が鈍くなっていきました」と話した。亡くなる2日前まで、テラスでお酒を楽しんでいたといい「最後はセブン-イレブンのアルパカ(ワイン)を飲んでいました。食も物もこだわりがないというか、欲のない人だった」と明かした。

オーナーを務めた、八ケ岳倶楽部で晩年を過ごした経緯についても明かした。東京の自宅と八ケ岳での二拠点居住をしていたというが、2年半前からコロナ禍や免許の返納が重なり、「元々(電車で)東京に向かうことを楽しみにしていたんですが、コロナで行きづらくなり、最後に東京へ帰ったのはワクチン接種をしに日帰りで向かった時」という。宗助氏は「本当に入院したくないというのが、第一だった。施設に入るとお酒も飲めなくなるし、この生活が気に入っていたので、ここで人に会えて、スタッフと話して、という生活がよかったんだと思います」と話した。

八ケ岳倶楽部には柳生さんをしのぶスペースも設けられ、この日も開店10時を過ぎると、多くの人が祭壇を訪れた。芳名帳には50人以上の名前が並び、遠くは岡山県からも。また、花を手向ける人の姿もあった。宗助氏は「ニュースの後から、お客様からお電話もいただきますし、作家の方からもご連絡があります」と話した。柳生さんを「父は好きなことをやっていたんだけど、それを見て、まわりも楽しく、ハッピーにしてくれた人だと思います」と胸の内を明かした。【加藤理沙】