16日に老衰のため85歳で亡くなった俳優柳生博さんの次男、柳生宗助氏が22日、父がオーナーを務めた山梨・北杜市のレストラン「八ケ岳倶楽部」で取材に応じ、生前の柳生さんについて語った。

宗助氏は柳生さんが八ケ岳で過ごすようになった経緯について明かした。“13歳になると1人旅をする”という柳生家の家訓で、初めて茨城から、標高の高い山梨に憧れて訪れたという。「俳優としては遅咲きで30代後半で急に売れて、有名になったのが、ちょうど僕が生まれた頃で『自分のバランスを崩さないように、家族のバランスをとるために野良仕事をしたい』と言って、八ケ岳に土地を買ったのが40数年前。庭仕事をするようになって、この八ケ岳倶楽部ができたのが、33年前でした」。1人旅をした頃からいつか、憧れがあったといい、「野良仕事が精神安定剤のような、だから八ケ岳に来たんだと思います」と明かした。

八ケ岳倶楽部では、庭の手入れなどをしながら、お客さんとの会話を楽しんで過ごしていたという。コロナ禍の休業中もスタッフとともに、庭の手入れをしていました。テラス席がお気に入りだったといい「富士山が見えて、絵になるように草屋根があって、左側には雑木林がある。『ここからの富士山が一番きれいだ』とお客さんにも話していました」と明かした。宗助氏は「SDGsという言葉がある前から先駆けてやっていた感じの人で、世間が言うようになったときに『時代がやっと追いついた』と自慢していました」と振り返り、笑顔で明かした。 宗助氏がオーナーを引き継ぐことについて、柳生さんからの特別な言葉はなかったと明かし、宗助氏は「しゃべるのは好きだったんですけど、そういうことに関しては任せる人だったとおもいます」。また、今後について「この森を守って育てていきたい。作ってくれたものをずっと続けて行ければ、それが願いです」と語った。【加藤理沙】