あなたの話をお聞かせ下さい――。作家で僧侶の家田荘子氏が気になる人物に迫る「駆け込み寺」対談編。話すことで自身を見つめ直し、人生の学びを見いだす。今回のゲストはジャーナリストの田原総一朗(88)。御歳88歳にして現役の田原のジャーナリストとしての信念、そして気になる女性関係までを家田が迫った。

 家田 ジャーナリストを志したきっかけは。

 田原 僕は戦争を知ってる最後の世代。「太平洋戦争は正義の戦争である」と教えられた。ところが小学5年生の夏休みに玉音放送があって、二学期が始まったら先生の言うことが180度変わった。教師をはじめ偉い人の言うことは信用できない。マスコミも信用できない。国も国民をだます。これが原点。ジャーナリストになって自分の目で確かめなきゃいけないと。

 家田 テレビマン時代は今では考えられない体当たり取材を行った。

 田原 今のテレビ東京はいいですが当時は三流局で〝テレビ番外地〟と呼ばれていた。制作費も他局の半分以下。ほとんど視聴者も相手にしてくれない。そこで危ない番組、問題のある番組をやろうと。やりたい番組をやるためには自分でスポンサーを見つけるしかない。スポンサーが付いてるならやってもいいだろうと非常に寛容でいい局だった。

 家田 ジャーナリストとしてのモットーは。

 田原 僕がこの仕事を長く続けられたのは、うそをつかない、駆け引きをしない、損得を考えないからだと思います。だから総理大臣、幹事長、野党党首からも信頼された。

 家田 女性からもよくおモテになられた。

 田原 あんまりモテないよ。危ない仕事やってるでしょ。そういう意味では評判にはなってた。

 家田 奥様、再婚された奥様を病気で亡くされ、どうやって立ち直った。

 田原 仕事があったからでしょね。普通の仕事じゃなくて、つまり闘いですよね。

 家田 今は恋愛されてるんですか。

 田原 2週間に1回ぐらい食事するガールフレンドはね。

 家田 「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日)を見てて感じるんですけど、三浦瑠麗さんお好きでしょ。

 田原 まあ、いや、その…。魅力はあると思う。男女の関係になろうとは思わない。大体、女性には弱いんですよ。朝生のプロデューサーも女性で、とっても信頼してます。その女性に言ってるんですよ「あなたはお母さんだよ」と。

 家田 卒業される時はどういう時ですか。

 田原 局が辞めてくれと言えば、辞めます。一番いいのは朝生の最中に田原が静かになった。よく見たら死んでたです。プロデューサーは「それはやめくれ」と。終わって「ご苦労さん」と言ってから死んでくれと(笑い)。

 家田 今でも命がけの取材をやりたい。
 
 田原 もちろん。あなたもやるでしょ。

 家田 はい。それはよく分かります。

(対談の模様はユーチューブ家田荘子チャンネルで配信中)

☆たはら・そういちろう 1934年4月15日生まれ、滋賀県出身。早稲田大学を卒業し60年に岩波映画製作所に入社。64年に東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社しディレクターを経て、77年にフリーになりジャーナリストに転身。「朝まで生テレビ!」「サンデープロジェクト」の司会を務める。