1989年(平元)6月24日の朝だった。埼玉・草加の実家住まいだった記者は、母親の「美空ひばりさんが死んじゃったらしいよ」という声で起こされた。

スマホどころかガラケーもない時代。取りあえず、会社に連絡をと思って、自宅玄関の黒電話に手を伸ばそうと思ったところで鳴った。

「今、電話しようと思いました」。

「バカ野郎、だったらサッサと電話しろ!」

鬼デスクの声が響いた。

現場は東京・青葉台の“ひばり御殿”。草加の実家からとにかく急げということで、本当は禁止されていたのだが、愛車だった当時の人気ナンバーワンデート車“ウグイス色”のシルビアに飛び乗った。

カーナビなど全く普及していない時代。首都高に乗ったのか、国道4号線、環状7号線、明治通りか。ルートを全く覚えていないのだが、昼前くらいにひばり御殿にたどり着いた。

現場には疲れ切った弊社の女性記者。ひばりさんが亡くなったのは6月24日の午前0時28分。会食しているところをポケベルで呼び出され、そのまま一晩中、ひばり御殿の前に立って張り付いていたという。

シルビアを青葉台の住宅地の坂道か、旧山手通りに駐車して交代。ひばり御殿に出入りする芸能関係者の取材を始めた。酒席から呼び出され、徹夜のまま取材を続ける芸能記者にもまれながらコメントを取った。

夜になっても、現場は騒然としたままだ。デスクから、音楽界に絶大な力を持つライバル紙の大物記者の所在を聞かれた。名前も顔も知らなかったのだが、関係者に聞くと、ひばりさんの亡きがらに付き添ったままらしいとのこと。なすすべもなく午前0時がすぎ、最終版の締め切りがすぎるまで、ひばり御殿の前に立ち尽くした。

あれから33年。20代だった記者も還暦、定年を迎えた。4月28日に、あのひばり御殿、現在の「美空ひばり記念館」で行われた、コロッケ専門店「コロッケのころっ家」の「美空ひばり BOX」発売発表会見を取材した。

ものまねタレント、コロッケ(62)がプロデュースして、ひばりさんが愛したコロッケのレシピを再現。会見には、ひばりさんの息子で「ひばりプロダクション」の加藤和也社長(50)も出席した。

コロッケは、ひばりさんのステージ衣装姿で“ひばり節”を披露。「いろいろものまねしたけど、ご本人の自宅でまねしたのは初めて」と恐縮したが、和也社長は「母と一緒にコロッケさんのものまねを見て笑っていました。感無量です。本人も喜んで見てくれていると思います」と笑顔を見せた。

取材会場となったのはひばり御殿の庭。「美空ひばり記念館」は現在、予約制で観覧することが出来る。

記者が現在住んでいる場所から、ひばり記念館までは徒歩で20分。今回は戎神社から、おしゃれでかわいい恵比寿ちぃばすに乗って行った(笑い)。

夜中まで玄関の塀の前で立ち尽くしたあの日から、1万1997日目で初めて中に入った。コロッケともども、味わい深い取材だった。【小谷野俊哉】