【楊枝秀基のワッショイ!スポーツ見聞録】勝率が1割に満たなかった開幕直後の状態からは脱した矢野阪神だが、5月に入っても苦戦が続いている。4月下旬の6連勝でも波に乗っていけなかった。5月6日の中日戦(バンテリン)では大野雄の前に9回までパーフェクトに抑えられ、延長10回に及んだ投手戦の末に1安打零封負け。11日の広島戦(甲子園)でも2―3と逆転負けを喫した。今季の広島戦は1分け7敗と白星なし。チーム打率、得点ともリーグワーストと貧打が顕著で、12球団最低の勝率3割1分6厘と〝悪い数字〟ばかりが並ぶ。

 こんなチーム状態で思い出したのは阪神の暗黒時代を知る、あるOBとの会話だ。

「本来なら中6日で他チームへの先発になるはずの巨人の主力投手が『中4日でもいけます』と阪神戦を志願してきたっちゅーんや。優勝もかかっとるしやな、取りこぼさんでというこっちゃ。今では笑い話やが、屈辱の過去や」

 日本一の熱狂からわずか2年後の1987年、阪神は球団史上最低勝率3割3分1厘という成績で最下位に沈んだ。優勝した巨人とは37・5ゲーム差。直接対決でも8勝18敗とカモにされた。当時の巨人は2年目の桑田が15勝を挙げ、最優秀防御率のタイトルを獲得。江川、槙原も健在で、抑えは鹿取という盤石の投手陣を誇った。

 戦力的にも不利だったのは確かだが、前出のOBが懸念していたのは精神的なダメージだった。

「そこはプロの世界やろ。一回弱みを見せてしもたら、とことん攻めてくる。もう立ち上がられへんほど徹底的にな。そうされると負けぐせがついてしまうんや。それだけは避けなあかん」

 事実、阪神は85年の優勝から星野監督が率いた2003年まで18年にわたってリーグVから見放された。この黒歴史を繰り返さないためにも、今年の圧倒的弱さに歯止めをかける必要がある。

 80年代後半の阪神は、もともと投手陣が弱いところに主力野手の故障、高齢化が重なり泥沼にハマった。だが、現在の阪神は戦力的には優勝候補にも挙がった強豪チームだ。シーズン終盤に上位球団の主力投手が「阪神戦登板志願」するような現象が起きたり、チームに負けぐせをつけないためにも、矢野阪神の巻き返しを多くの虎党が待ち望んでいる。

☆ようじ・ひでき 1973年生まれ。神戸市出身。関西学院大卒。98年から「デイリースポーツ」で巨人、ヤクルト、西武、近鉄、阪神、オリックスと番記者を歴任。2013年からフリー。著書は「阪神タイガースのすべらない話」(フォレスト出版)。21年4月にユーチューブ「楊枝秀基のYO―チャンネル!」を開設。