後藤さんには生涯、頭が上がらない。私の記者人生は「ターザン後藤」との出会いから始まったようなものだからだ。

 2004年に入社した当時、新日プロをはじめとするメジャー団体には複数の弊紙の先輩たちが〝番記者〟として張りついていた。新米の私などに入る隙間はない。毎日が修行。どこに行き、どんなネタを拾ってくればいいのか…。右も左も分からない若造に、真正面から向き合ってくれた一人が後藤さんだった。

 当時は「ターザン後藤一派」という団体を立ち上げていた。どのメディアもほぼ扱わないコアすぎる団体。会見は私一人で、出席するレスラーの人数のほうが多く、試合を開催しても観客数が数十人しかいないこともザラだった。

 そんな中で、後藤さんは「プロの顔」と「素の顔」の両面を見せてくれた。リングではビール瓶で自らの頭をかち割り、大流血しながら相手を圧倒。その姿はまさに「鬼神」だった。リングを降りれば、気さくで律義。ある日、カメラマン不在の小規模会場のリングサイドで必死にシャッターを切っていると、飛び散ったビール瓶の破片で右ヒジを切った。

 試合後、私しかいないコメントブースで「ターザン後藤」としての言葉を言い終えると、血を滴らせながらこう気遣ってくれた。

「大丈夫?」。後藤さんはメモを取る私の手を見ていてくれた。思い返せば、キリがない。ただ、私にとっては世界でただ一人の「ターザン後藤一派」を〝担当〟できたことはかけがえのない財産。後藤さん、本当にありがとうございました。そして、ゆっくりおやすみください。(現巨人担当・大島 啓)